レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/05/31
- 登録日時
- 2018/06/16 00:30
- 更新日時
- 2018/11/28 16:44
- 管理番号
- 滋2017-0022
- 質問
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解決
膳所藩に伝わった今枝流の伝系、事績や内容について知りたい。
- 回答
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『膳所藩の武道』の「三、膳所藩の武道(四)剣道」の項には、「(ロ)今枝流 今枝流は(中略)、加藤三右エ門、浜専右エ門、西川紋太郎の三名の名が残っている。加藤三右エ門は、禄百七十石、御馬御用、旗奉行、小姓頭、武具支配、御用金取締、小納戸取締などいろいろの役を兼ねた。俳句をよくし木叟、また母久双とも号した。遺吟に、八朔や鷺もおりいる城の掘があり、清徳院の墓には無[リョウ]軒香誉浮山木叟居士、文久三癸亥年二月廿一日とあり、辞世の和歌 玉の緒の絶るにれて・・・・・・とあるが刻字不明になっている。」とあります。
※リヨウは土へんに尞
また、『膳所六万石史』の「五、膳所藩の武道」の項には、今枝流の師範について「今枝流-今枝良政・・・今枝良当-今枝良正-西川紋太郎-浜専右エ門-加藤三右エ門」とあります。
『膳所藩名士列伝』には、「今枝流剣術を伝えた今枝弥右衛門良政」の項があり、「父の歿後弥右衛門を襲名した良政は、寛文八年(一六六五)主家京極藩主が減知された時、浪人となって江戸に移住し、後ち江戸で七万石膳所藩主本多兵部康将に召抱えられ禄三百石を賜わった。膳所藩の剣道は幕末まで直心影流と今枝流とが主であったが、この今枝流を伝えたのは、その始祖とも云うべき今枝弥右衛門良政である。」とあり、「さて今枝良政の子孫は引続き膳所藩に仕えて今枝流剣術を指南していたようであるが詳細不明。しかし幕末には弥右衛門を襲名した兄の今枝弥右衛門―古組で切米六石五斗二人扶持と、その弟の今枝四郎左衛門―勘定組で米十二俵、御軍事貝役御徒士謹格、外に在勤中一俵増の二人が藩名簿に載っているが、今枝流剣道の指南役ではない。幕末に於ける今枝流の指南役は加藤三右衛門、浜専右衛門、西川紋太郎の三名であった。」とあります。
『全国諸藩剣豪人名事典』には、「今枝四郎左衛門(いまえだしろうざえもん)?~元禄八年(?~一六九五)今枝流。膳所藩士。名は良政。入道して猶無と称す。今枝流の開祖となった弥右衛門良重の子とも、良重の養子となった良隆の子ともいう。」とあり、良政の没後は「子の八左衛門良基が藩の師範となり、以後、四郎左衛門良尚、四郎左衛門良正、四郎左衛門良温と伝承した。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 武術 (789 8版)
- 参考資料
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- 1 膳所藩の武道 竹内将人∥編集 立葵会 1976年 5-7811- 76 p.69
- 2 膳所六万石史 竹内将人∥編 立葵会 1983年 S-2511- 83 p.159
- 3 膳所藩名士列伝 竹内将人∥編 立葵会 1979年 S-2811- 79 p.14-16
- 4 全国諸藩剣豪人名事典 間島勲∥著 新人物往来社 1996年 R-2810-マ p.56
- 1 近江今昔 中神天弓∥著 滋賀郷土史刊行会 1964年 S-2000- 64
- 2 武芸流派100選 綿谷雪∥著 秋田書店 1972年 2-7890-ワ
- キーワード
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- 膳所藩
- 今枝流
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237233