このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000161140
提供館
(Library)
尼崎市立地域研究史料館 (5000006)管理番号
(Control number)
068
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2014年10月17日 16時44分更新日時
(Last update)
2014年10月18日 11時30分
質問
(Question)
杭瀬小学校東隣の杭瀬公園にある大正15年の年号入り石碑は何の碑なのか、元はどこにあったものなのか知りたい。
回答
(Answer)
ご質問の石碑には、次のような文言が刻まれています。

「大正十五年六月廿五日村会可決村道認定セリ依テ其日/現在ニヨル高ヲ示ス為メ村長立会ノ上之ヲ伏設セリ/但石柱ノ天ヲ以/テ高サノ標トス」
(意訳「大正十五年六月二十五日、(小田村)村会が村道認定を可決したので、この日現在の高さを示すため、村長立ち会いのうえこの碑を設置した。石柱のてっぺんの高さをもって、(道路面の)高さのあらわすものとする」)

杭瀬地区は、小田村が尼崎市と合併する以前は小田村に属していました。この碑は、認定された村道の道路面の高さを示すため、大正15年(1926)に設置されたものであることがわかります。
この石碑は、平成9年(1997)に現在地に移設される以前は杭瀬商店街北東端の道路脇(現杭瀬北新町1丁目9-11の地先)にありました。この道路は、かつて杭瀬地区の北部にあった「バンジョ堤」あるいは「万丈堤防」と呼ばれた堤防上に位置していました。
この石碑が設置された理由をさぐるうえで、住民の回想などをまとめた『ふるさと-神崎川と小田』の記述が参考になります。同書によれば、大正4・5年の大雨のとき、田地が水没した常光寺の農民たちが「バンジョ堤」を切って南側の杭瀬へ水を流そうとしたのを、杭瀬の農民たちが実力で阻止しようとして騒動になったということです。
おそらく、同様の衝突が大雨のたびに繰り返されたので、堤を切り崩したり低くしたりする現状変更を防ぐため、大正15年に堤の高さ(=道路面の高さ)を村議会が認定し、高さの基準を明確にするために石碑が設置されたものと考えられます。
石碑の全長は約140cmで、碑文のある面の横幅は22cmです。移設前の平成9年当時は地面に深く埋め込まれ、全長のうち40cmほどが路面上に見えている状態でした。現存しているのは1本だけで、当初建てられた本数は不明です。
回答プロセス
(Answering process)
1 石碑撤去および移設の経緯
◆地域研究史料館調査記録98「大原商事前の石碑」
市役所道路管理課による平成9年(1977)の石碑移設経緯に関する記録

2 堤防をめぐる浄光寺と杭瀬の争いについて
◆村上龍一郎氏の回想
『常光寺小学校二十周年記念誌』掲載
『ふるさと-神崎川と小田』に「バンジョ堤騒動(常光寺)」と題して再録されている。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
道路工学  (514 9版)
農業史.事情  (612 9版)
交通政策.行政.経営  (681 9版)
参考資料
(Reference materials)
『常光寺小学校二十周年記念誌』 常光寺小学校育友会記念誌編集委員会発行 昭和48年 (当館請求記号 377.6/A/シ)
『ふるさと―神崎川と小田』『ふるさと』発刊実行委員会発行 平成7年 (当館請求記号 219/A/フ)
キーワード
(Keywords)
杭瀬商店街
石碑
バンジョ堤
小田村
万丈堤防
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000161140解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!