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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000141788
提供館
(Library)
尼崎市立地域研究史料館 (5000006)管理番号
(Control number)
048
事例作成日
(Creation date)
2013年12月12日登録日時
(Registration date)
2013年12月12日 15時21分更新日時
(Last update)
2013年12月12日 16時00分
質問
(Question)
織田信長に背いた荒木村重が、天正7年(1579)に包囲された有岡城(現伊丹市)を脱出して赴いた尼崎城というのは、現在の阪神尼崎駅の南東、北城内・南城内付近にあった尼崎城であると考えてよいのか?
回答
(Answer)
 阪神尼崎駅の南東、現在の北城内・南城内付近にあった尼崎城は、元和3年(1617)に尼崎に入封し初代尼崎藩主となる譜代大名・戸田氏鉄(うじかね)が、翌元和4年以降に築城した近世城郭です。
 荒木村重の嫡男村次が居城し、有岡城を脱出した村重が赴いた戦国期の尼崎城は、この近世尼崎城とは別の城であり、築城された場所も異なります。
 中世尼崎城は、大永6年(1526)に細川高国が築城し、大物城とも呼ばれる城であったと考えられています。ただし「萩藩閥閲録」中の「大内政弘感状写」には文明5年(1473)12月7日に大内政弘方の椙社(すぎもり)弘康が尼崎及び大物城を攻め落としたことが記録されており、築城がさらにさかのぼる可能性もあります。
 この15世紀後半ないし16世紀前半に築かれた中世尼崎城が、戦国末期の天正年間まで存続したと考えられ、村重ら荒木一統の支配圏に属していました。その場所は、近世尼崎城下絵図類に「尼崎古城跡」と記された位置、近世尼崎城の北東で大物の西側、現在の阪神尼崎車庫の東端部分から、東側の旧尼崎港線跡地付近にかけての一帯にあたると考えられます。
回答プロセス
(Answering process)
1 中世・戦国期の尼崎城について
◆『尼崎市史』第1巻
 築城経緯等を記録している。

2 近世尼崎城について
◆『尼崎市史』第2巻
 築城及び立地などを記録している。

3 荒木村重の有岡城籠城、尼崎城への脱出について
◆『尼崎市史』第2巻
◆『伊丹市史』第1巻
◆瓦田昇著『荒木村重研究序説』
 各文献とも、歴史的経緯・経過等を記録している。

4 中世・戦国期尼崎城と近世尼崎城の位置関係等について
◆Web版尼崎地域史事典"apedia" 項目「尼崎城」
 中世・戦国期尼崎城の位置について、典拠となる近世尼崎城下絵図類を示しながら解説している。

◆小野寺逸也「江戸時代前期の尼崎城下絵図について(2)」
 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第11巻第3号所収
 上記"apedia"の項目「尼崎城」の記述のもとになった研究論文
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
近畿地方  (216)
日本の建築  (521)
参考資料
(Reference materials)
『尼崎市史』第1巻・第2巻 昭和41年・43年 (当館請求記号 219/A/ア-1・2)
『伊丹市史』第2巻 (当館請求記号 219/S/イ-2)
瓦田昇著『荒木村重研究序説 戦国の将村重の軌跡とその時代』海鳥社発行 平成10年 (当館請求記号 289.5/S/ア)
小野寺逸也「江戸時代前期の尼崎城下絵図について(2)」
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第11巻第3号(昭和57年3月)所収 (逐次刊行物)
キーワード
(Keywords)
尼崎城
荒木村重
織田信長
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
団体
登録番号
(Registration number)
1000141788解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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