レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/02/26
- 登録日時
- 2019/02/27 00:30
- 更新日時
- 2019/02/27 00:30
- 管理番号
- H0062
- 質問
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解決
戦前の陸軍第七師団は「だい"しち"しだん」と読まれていたと言われるが,その由来と実際に「しち」と読まれていたことがわかる資料を探している。
- 回答
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・由来について「第七師団旭川の礎」(『北海道新聞』平成27年1月12日)には「第七師団の「七」は、「なな」ではなく「しち」と読む。北鎮記念館によると、1896年(明治29年)5月に第七師団が創設され、明治天皇が初代師団長に永山武四郎を任命した際、「しち」と読んだのが由来という。」とある。典拠となる資料は見つけられず。
・『小説 寄生木 第十七版』(徳富 蘆花/著 警醒社 1910)748-750P,文中の七師団のルビに「しちしだん」とあり。
・アジア歴史資料センター(https://www.jacar.go.jp/index.html)資料を「シチシダン」で検索すると
明治三十年十月十八日 第七師団発電報「訓令乙第4号到着以前の上等兵進級発令の通牒と同電文」(レファレンスコードC10061303200)に「 発信人 ダイシチシダン サンホウテウ」とある。ほか5件「シチシダン 」と記された文書が確認できる。
- 回答プロセス
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回答のほか次の資料を確認
・『旭川市史稿』,『旭川市史』,『新旭川市史』
・「師団歴史」(『新旭川市史 第八巻』所収)
・第25~28連隊の各連隊史類
・『旭川第七師団』(示村貞夫/著 総北海 1984)
・『北の兵隊』(示村貞夫/著 総北海 1987)
・『陸軍師団総覧』(近現代史編纂会/編 新人物往来社 2000)
・『明治天皇紀 第9』(宮内庁/編 吉川弘文館 1973)
・(内部用)新聞見出し検索データベース
- 事前調査事項
- NDC
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- 国防.軍事 (390)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000252230