レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年09月09日
- 登録日時
- 2019/09/10 18:43
- 更新日時
- 2019/09/11 12:28
- 管理番号
- 堺-2019-075
- 質問
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解決
ニサンザイ、ミサンザイ、グワショウ坊、いたすけ、ドンチャン山2号、善右ヱ衛門など人名系、カトンボ山などの各古墳の名称の由来について知りたい。
- 回答
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ニサンザイ・ミサンザイ
天皇陵の「陵」の読み「みささぎ」が語源で、これがなまったものと言われている。
しかし、なぜ「ニ」と「ミ」に分かれたかはわからない。
堺市以外の古墳でもこの名前がある。
グワショウ坊
明治30年・大正4年作成の絵図には「画条坊(がじょうぼう)」と記載されている。
これがなまったものと考えられるが、なぜ「画条坊」という名前なのかはわからない。
いたすけ
いたすけ古墳のまわりにある池の名前が「板鶴池(いたづるいけ)」だった。この「いたづるいけ」がなまっていたすけになったのではないか。
ドンチャン山2号
古墳のちかくに雑木林があり、地元の人たちはそこを「どんちゃ山」と呼んでいたらしい。なぜその名前なのかはわからない。
善右ヱ門山
この名前は、明治・大正の資料にも出てくる。人の名前がついている古墳は結構あり、たいていはその土地の所有者の名前だが、「善右ヱ門」が誰かはわかっていない。
カトンボ山
明治・大正時代は「ウシロ防」と呼ばれていた。遺跡地図作成のとき、なぜカトンボ山になったのかはわからない。
(東図書館)
- 回答プロセス
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所蔵資料をあれこれ当たるがほぼ見当たらず。本市の中央図書館に調査依頼するも発見できず。中央から本庁文化財課に問い合わせ、解答を得た。
結局のところ、
・古墳の名前の由来がひとつにまとまった資料はない。
・昭和35年に文化庁が文化財の遺跡分布調査をするよう指示。これを受けて、大阪府が調査し、遺跡地図を作成した。
・現在知られている名前は、昔からずっと伝わっている名前ではなく、その地図作成の時につけられた名前で、明治・大正時代と呼び方が違う古墳もある。
・遺跡地図につけられた古墳の名前をどうやって決めたのかは、今となってはわからない。
・明治・大正時代と名前が違うとなぜわかるかというと、その頃の庄屋が地図や絵図を残していて、そこに目印として古墳が書き込まれていることもあるので、方向を照らし合わせて、現在の古墳と比較できる。
・どの名前の由来も確証はなく、~と言われているという程度。
だそうである。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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百舌鳥梅町伝承委員会/編 , 百舌鳥梅町伝承委員会. もずの梅町ふるさと話. 百舌鳥梅町出版局, 2005-04.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I084974575-00
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百舌鳥梅町伝承委員会/編 , 百舌鳥梅町伝承委員会. もずの梅町ふるさと話. 百舌鳥梅町出版局, 2005-04.
- キーワード
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- 古墳
- 百舌鳥古墳群
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000261206