レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月06日
- 登録日時
- 2017/07/26 16:16
- 更新日時
- 2017/11/02 14:02
- 管理番号
- 埼熊-2017-028
- 質問
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解決
カソリック(カトリック)とプロテスタントの争いは最終的にどのように折り合いがついたのか知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介した。
『新カトリック大事典 1』(上智学院新カトリック大事典編纂委員会編 研究社 1996)
p645 「ウェストファリアじょうやく」の項に「(前略)カトリック教会とルター派との間にむすばれた1555年のアウグスブルク宗教和議の原則「領主の宗教が領内にて行われる」の適用が、ドイツのカルヴァン派にまで拡大された。(中略)また、宗教的迫害は一切禁止された。帝国議会においてはカトリックもプロテスタントも同等の資格を持ち、最後の宗教戦争に終止符を打つことになった(後略)」とあり。
『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』(永田諒一著 講談社 2004)
p150 「最終的な解決は、さらに三十余年後、1648年の「ヴェストファーレンの講和」まで待たねばならなかった。この講和条約は、ヨーロッパ全体の国際関係の確定からはじまって、ドイツのニ宗派併存都市のことまで、多岐にわたる内容をもっている。」とあり。
- 回答プロセス
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1 参考図書で関連する用語を調べる。
『キリスト教神学事典』(A.リチャードソン[ほか]編 教文館 1995)
『新カトリック大事典 1』(回答資料)
p51 「アウグスブルクしゅうきょうわぎ」の項に「1555年9月25日、ドイツ帝国議会がアウグスブルクで、教会分裂の結果について下した決定。ドイツ帝国法上、カトリック教会と並んで、アウグスブルク信仰告白を信奉する者を承認」とあり。
2 自館目録を〈宗教改革〉〈プロテスタンティズム〉〈カトリック〉で検索する。
『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』(回答資料)
『プロテスタンティズム その歴史と現状』(F.W.グラーフ著 教文館 2008)
p59 「ドイツの領邦教会においては、一五五五年のアウグスブルク宗教和議において承認された後、教会の指導は事実上、総監督としての領主に委託された。(略)一九一八/一九年の革命とドイツ君主制の廃止以後初めて、福音主義教会は国家からの、また国家に対するより強力な自由を勝ち取った。」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
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- キリスト教史.迫害史 (192 9版)
- 参考資料
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- 『新カトリック大事典 1』(上智学院新カトリック大事典編纂委員会編 研究社 1996) , ISBN 4-7674-9011-1
- 『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』(永田諒一著 講談社 2004) , ISBN 4-06-149712-X
- キーワード
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- キリスト教
- カトリック
- プロテスタント
- 宗教
- 戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000219289