レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年11月2日
- 登録日時
- 2017/05/24 11:07
- 更新日時
- 2017/07/21 15:32
- 管理番号
- 埼熊-2017-008
- 質問
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解決
太田下野守が滝の城の城代になったとの記述のある資料がみたい。
- 回答
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以下の資料を提供した。
『武蔵野話』(斎藤鶴磯著 有峰書店 1970)
p200-201 「城村の城跡は北條氏照の城といへども左にあらず。小城にして北條氏の幕下太田氏の持城のよし。(中略)本城の跡に愛宕権現の祠あり(中略)。神体は立烏帽子をかむりし馬上の石像にて(中略)城主太田下野守の像なりといへり。」とあり。
『入間郡誌』(安部立郎編 名著出版 1972)
p313 「南部諸町村 柳瀬村 三 城」の項に「北條氏照の居城と称すれど、実は其幕下太田氏の持城にて(中略)思ふに小田原記に武州本郷地主太田下野守とあり。(中略)城の成れる恐らく其頃にあるべし。」とあり。
『所沢市史 上』(所沢市史編さん委員会[ほか]編 所沢市 1991)
p456 「北条家の家臣となった太田下野守は、北条氏照から滝の城を預かり、城代となったものであろう。」とあり。
『所沢の歴史と地理』(内野弘著 内野乃布 1985)
p50 『新編武蔵風土記稿』の引用あり。「八王子の城主北条陸奥守氏照の抱の城があった跡と言われている。」とあり。
p52 「その後、天正ごろ(1573-91)になってから、小田原記にあるように太田下野守が、この城を守備していたものと思われます。」とあり。
- 回答プロセス
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1 自館目録を〈全項目:滝の城〉で検索する。(〈本郷城〉〈本江城〉では該当なし。)
『所沢市史 中世史料』(所沢市史編さん委員会[ほか]編 所沢市 1981)
p77-108 「滝の城跡」に関連する記述あり。
2 《Google ブックス》(http://books.google.co.jp/ Google)を〈北条氏政 & 天正五 & 太田下野守〉で検索する。
『岩槻市史 古代・中世史料編1〔2〕 古文書史料』(岩槻市市史編さん室 1983)
p213 「510 九月二十一日 北条氏政は、恒岡越後守・太田下野守に、下総国関宿城番を山角某と交代して勤めるよう命ずる。」とあり。
「明後廿三、」から始まり「天正五丑九月廿一日 氏政(花押影) 恒岡越後守殿 太田下野守殿」で終わる文書、訓読や註もある。
3 『所沢市史 中世史料』p85に太田下野守が滝の城の城代になったとの記述がある資料を確認する。
『武蔵野話』(回答資料)
『入間郡誌』(回答資料)
『所沢市史 上』(回答資料)
4 その他関係資料を確認する。
『所沢の歴史と地理』(回答資料)
『埼玉の城址30選 歴史ロマン』(西野博道編著 埼玉新聞社 2005)
p114-117 「22 滝の城 -竜伝説」に築城者に太田下野守の名があがっているが、「諸説あるが定かではない」とあり。
『埼玉の古城址』(中田正光著 有峰書店新社 1983)
p97-101 「滝の城」の項に「滝の城の築城者についてはいろいろな説があり、太田氏一族であるところの太田下野守(『入間郡誌』)としたり(中略)」とあり。
5 埼玉関係雑誌記事索引を〈滝の城〉〈本郷城〉で検索する。
栗原仲道著「所沢の城跡・館跡」(『所沢市史研究 第19号』p1-18 所沢市教育委員会 1996.3)
p12 関連する記述あり。「(前略)太田下野守が城主となった本郷城は所沢ではなくて東川口の本郷城であったと考えられる。」とあり。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2015年10月23日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
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- 『武蔵野話』(斎藤鶴磯著 有峰書店 1970)
- 『入間郡誌』(安部立郎編 名著出版 1972)
- 『所沢市史 上』(所沢市史編さん委員会[ほか]編 所沢市 1991)
- 『所沢の歴史と地理』(内野弘著 内野乃布 1985)
- キーワード
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- 太田下野守
- 滝の城
- 所沢
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000216494