レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/09/21
- 登録日時
- 2015/03/18 00:30
- 更新日時
- 2015/11/28 14:23
- 管理番号
- 0000001204
- 質問
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解決
「金沢博物館」について調べたい。先祖が設立に当たって出資し、また中村記念美術館に寄贈した茶道具のキャプションにも記載されていた。
- 回答
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『金沢博物館の展開』に設立の経緯、沿革等が掲載されています。
40-41pに「1875(明治8)年1月官民共立の博覧会社が設けられ、兼六園内の巽新殿と旧鉱山教師フォン・ディケンの居館が、博物館施設に充当された。そして、翌明治9年3月に『金沢博物館』」
(太政官第20号)が設立され、4月1日開館式が挙行された。その後1878(明治11)年6月に「金沢博物館は、実質勧業を主たる業務とするものであったため、『金沢勧業博物館』と改称されている。(中略)改称と同時に新に博物館既則を定めた。それによれば、常会は4月~10月の16日~20日まで開催。その都度臨時会が開かれている。開館時間は午前9時~午後4時、入館料は平日2銭、日曜日は5銭であった。(中略)1878年当時の金沢勧業博物館の規模は、東本館、西本館、甲部集産館、乙部集産館、機械館の5館より構成されていた。更に鉱物、製鉱物、農産物、教育用品の4小区に区分され、甲部集産館はその物品所産の管内各大区によって大別され、1大区中に部類を分けた。乙部集産館は出品人名によって各地域を定めている。」とあり、以下各館の展示品の説明が続きます。
47pには閉館および、当館との関わりを示す記述として「1908(明治41)年9月、32年の長きにわたる博物館活動に終止符がうたれた。博物館施設であった成巽閣(新巽殿)、図書室、倉庫は前田家に譲渡、他の主要建築物は兼六園の西北隅に移築された。(中略)図書室はいったん前田家に返されたが、尊経閣文庫等の貴重書籍を有するため、県議会で図書館設置が議決され、物産陳列所の北隣に本館を新築。明治45年1月竣工開館、石川県立図書館となり、その後本多町に移転し、今日に至っている。」とあります。
「石川県勧業博物館」については、多数所蔵がありますのであわせてご覧ください。特に『金沢公園勧業博物館之図』にて、鳥瞰図がご覧いただけます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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インターネット
- NDC
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- 団体.博物館 (06 9版)
- 参考資料
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- 1 金沢博物館の展開 四柳 嘉章∥著 国学院大学 1980 K069/16
- 2 金沢公園勧業博物館之図 石川県内務部第2課∥編纂 有隣堂 1891 K06/1
- 3 石川県勧業博物館「勧業諸報標目」考 稲村 徹元∥著 弥吉光長先生喜寿記念会 1977 K069/11
- 4 石川県勧業博物館書目 三宅 少太郎∥編 1901 K029/73
- 5 石川県勧業博物館創立十年略記 [石川県勧業博物館]∥編 石川県勧業博物館 1883 K069/3
- 6 [石川県]勧業博物館創立二十年略記 [石川県勧業博物館]∥編 石川県勧業博物館 1894 K069/5
- 7 加賀藩旧蔵洋書の目録作成: 壮猶館旧蔵洋書目録,卯辰山養生所旧蔵洋書目録, 金沢医学館旧蔵洋書目録,加州軍艦所旧蔵洋書目録,加州弾薬所旧蔵洋書目録,加州海軍局文庫旧蔵洋書目録,および藩校「学校」旧蔵洋書目録と金沢学校旧蔵洋書目録.付録:石川県勧業博物館時代の蘭書目録 板垣/英治∥[著] 金沢大学日本海域研究所 2007.3 K029/1024
- キーワード
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- 金沢博物館
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000169251