レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年02月01日
- 登録日時
- 2017/06/20 13:49
- 更新日時
- 2017/06/21 16:15
- 管理番号
- 市川20170201-02
- 質問
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解決
朝日新聞の読者投稿欄が100年を迎えると聞いた。第1回の投稿を見たい。大正6年2月らしい。
- 回答
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『朝日新聞社史 大正・昭和戦前』(朝日新聞社 1991)p.64には、「大正から昭和にかけ、東朝の読者投書欄として親しまれた「鉄箒(てつそう)」は(中略)翌6年2月から一般読者の投稿も採用した」とあり、「読者投稿の第一番にえらばれたのは、成沢玲川の「海外輸出品」という一編で(後略)」と記載されている。
『読者の言論』(影山三郎/著 現代ジャーナリズム出版会 1976 千葉県立中央図書館蔵 )でこの一編は1月15日の投稿であることがわかるが、これについて著者は p.198で
「社内の記録によると「鉄箒」欄にのった投書の第1号は、1月15日付け成沢玲川の「海外輸出品」ということになっている。しかし成沢玲川は、すでに前年の10月、アメリカ紀行の随筆を学芸欄的なところに連載していた。この投書が掲載されてまもなく、その年の9月には東京朝日に正式入社し、調査部で「鉄箒」欄そのものの担当者となり、のちグラフ部長、計画部長を歴任した。したがって純然たる一般読者の投書とはいえないと考えたのだろうか、公刊の社史によれば、投書のはじまりは、それよりも20日ほど遅い、2月5日ということになっている」
と述べている。
また、「この欄にはじめて社外からの投書が掲載されたのは、翌年1月15日からであった。その末尾に「附言―此欄には時に社外の投書を取る」という読者への呼びかけが付記された」という記述があることから、単なる投書が紙面に取り上げられたのは1月15日であったが、「鉄箒」欄が投書欄として機能し始めた日としては2月5日ということで、ひとつの記事欄の性格が変わっていく時期でもあり、「投書」と「投書欄」との性格や認識の差により色々な説がでたとも考えられる。
2月5日の記事タイトルについては、同書で「文学者の名前」であることがわかる。
この記事は縮刷版や朝日新聞記事データベース「聞蔵」で読むことができるが、「海外輸出品」については確認できなかった。
朝日新聞東京本社によると、1月15日分は早い刷りでは「海外輸出品」が掲載されているが、前日に軍艦「筑波」の爆発沈没という大事件が発生しており、後の刷りでは軍艦関係の記事に差し替えられているとのことであった。
なお、2017年2月8日の「天声人語」は、大正6年2月5日の記事を第1回の読者投稿として扱った内容となっている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (071 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000217536