レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年05月20日
- 登録日時
- 2012/09/06 14:49
- 更新日時
- 2012/09/06 14:49
- 管理番号
- tr232
- 質問
-
解決
三島通庸が建てた栃木県庁舎の設計者について記した資料はないか。
- 回答
-
三島通庸は、明治期に栃木県令を務めた人物です。栃木県の県庁所在地を栃木市から宇都宮市に移し、二里山に三層からなる西洋風の庁舎を建設しました。(『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995)p570より)
栃木県史については、目次から関連箇所を確認しましたが、設計者に関する記述は確認できませんでした。以下に、栃木県史の関連記事と、その他関連資料をご紹介します。
・『栃木県史 通史編 6.近現代(1)』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982)
「第2章 自由民権運動 第3節 民権運動の衰退 1 民権運動の変容と県庁移転」に、「栃木県庁の落成」という内容があります(p181-183)。ただ、設計者に関する記述はありません。
・『栃木県史 史料編 15.近現代(1)』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1976)
「25 県庁移転」に、県庁移転時に関する資料5点が収録されていますが、県庁舎についての資料はありません。
・『栃木縣史 第5巻 政治編』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
第26章に「県庁」の解説がありますが、お尋ねの県庁舎についての詳細は記載されていませんでした。
・『栃木の近代建築』(松井任/編著 岡田義治/編著 栃木県建築研究会 1981)
p90の「明治17年7月改正の『栃木県職員録』」の説明の中に、
中山高明、宮原敬助は、ともに山形県職員であったが、三島県令と共に仕事をしてきた人物であり、山形県庁(明治10年)、福島県庁(増築・明治15年)そして旧伊達郡役所(明治16年5月)(国指定重要文化財)などの工事を監督して来たベテラン技師であった。従って、明治17年の栃木県庁舎も、当然彼等の手によるものであり、建物は白亜の擬洋風で三島県令好みのデザインであった。
という記述がありました。
・『明治・大正・昭和のパレス 栃木県庁舎の記録』(栃木県/編 栃木県 1989)
p10-15に、「2代目県庁舎」の記述がありますが、設計者に関する記載はありません。
・『栃木県庁舎建設誌』(栃木県経営管理部県庁舎整備室/編 栃木県経営管理部県庁舎整備室 2008)
県庁舎の変遷の中で簡単に紹介されるのみでした。
・『新築 栃木県庁平面縮図』(著者不明/著 旭香社 1890)
こちらは、明治23年竣工の県庁舎に関する資料でした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 各種の建築 (526 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 栃木県庁舎
- 三島通庸
- 設計者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000111007