レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/07/04
- 登録日時
- 2010/04/01 02:00
- 更新日時
- 2010/04/04 13:53
- 管理番号
- 愛知県図-00259
- 質問
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解決
宮澤賢治が愛知県の蒲郡に来訪したそうだが、そのとき乗船した船の名前を知りたい。
- 回答
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資料1、2によれば、賢治は1916(大正5)年3月、盛岡高等農林学校第2学年の修学旅行で関西を訪れ、帰途伊勢神宮参拝後、3月29日に鳥羽から蒲郡に汽船で渡っています。賢治が乗船した汽船については次のように推測されています。
【資料1】『〈新〉校本宮澤賢治全集 第16巻下〔1〕補遺・資料 年譜篇 109頁
「3月29日(水) 日の出を拝み、鳥羽より400トンの汽船にのり蒲郡に渡る。」以下脚注「6時00分発鳥羽蒲郡線汽船に乗船したとすると、東海道本線上り一八列車に乗り継いで三島に19時05分着となる。」
【資料2】『〈新〉校本宮澤賢治全集 第十六巻下〔2〕補遺・資料 補遺・伝記資料篇』 「鉄道関係 時刻表」217頁
「二十九日には、鳥羽発6時30分の鳥羽蒲郡線汽船にて蒲郡着12時00分、これに接続する、13時20分発の東海道本線上り一八列車にのって三島着19時05分。」
(鳥羽発の時間が異なっていますが、資料3によれば、6時30分が正しいと思われます。資料1巻末の「年譜参考文献には資料3が含まれています。)
当時の時刻表である【資料3】『公認汽車汽船旅行案内』大正4年3月号を見ると、246頁に
「堀田商会海運部汽船発着並賃金表 鳥羽蒲郡線」の記載があり、船名は「伊勢丸」です。上り一番船は鳥羽発6時30分、途中二見、神社、豊浜、師崎、篠島、福江を経由し、蒲郡着が12時です。大正4年の時刻表ですが、賢治の乗った船はこの「伊勢丸」の可能性が高いと思われます。
なお、鳥羽-蒲郡間の海運について【資料4】『蒲郡町誌』12頁に次の記述があります。
「明治三十四年鳥羽造船所が蒲郡、鳥羽間の新航路を開きたる以来、鉄道院と連絡して一日二回の定期船あり、福江(渥美郡)、篠島、師崎、豊浜(知多郡)、二見、鳥羽(三重県)等に寄港して航海してゐる。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910 9版)
- 海運 (683 9版)
- 参考資料
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- 資料1『〈新〉校本宮澤賢治全集 第16巻下〔1〕補遺・資料 年譜篇』筑摩書房,2001 (1108083514)
- 資料2『〈新〉校本宮澤賢治全集 第16巻下〔2〕補遺・資料 補遺・伝記資料篇』筑摩書房,2001 (1108083523)
- 資料3『明治大正時刻表〔7〕公認汽車汽船旅行案内〔大正4年3月号〕』新人物往来社、1998(旅行案内社 大正4年刊の復刻) (1107656168)
- 資料4『蒲郡町誌』名著出版、1973(昭和4年の復刻) (1101463899)
- キーワード
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- 宮沢賢治
- 蒲郡市
- 汽船
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000065723