レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/3/6
- 登録日時
- 2016/05/06 17:41
- 更新日時
- 2016/12/28 13:51
- 管理番号
- 00180
- 質問
-
解決
享保元年(1716)に出版された『篠山封疆志』に、篠山藩の土産として「布、木綿布、紙、黎豆、赤豆、茶、栗、山椒・・・」と記されている。昭和26年(1951)発行の『和文 篠山封疆志』の注釈に「黎豆は黒豆、赤豆は小豆」と記されている。(篠山市図書館蔵)
黎豆はクロマメと読まれ、和文 篠山封疆志の注釈にあるように、黎豆は黒豆なのか。
また、黎豆は黒豆でないとしたら、黎豆を黒豆の当て字として使用したのか。
- 回答
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「黎豆」が「黒豆」であるという記述および、「黎豆」を「黒豆」の当て字として使用している例は不見当。
2016/12/1コメントを受け追記
『日乗上人日記』に、黒大豆のことを「黎豆」「烏豆」と書かれている例がある。
- 回答プロセス
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参考までに、「黎豆」について、以下の記述があった。
『大漢和辞典 12』(当館資料請求記号:813.2/5/12)
p1001「黎豆」の項に、「〔本草、黎豆〕釋名、貍豆、虎豆、時珍曰、黎亦黒色也、…」
『国訳本草綱目 7』(499.9/1/7)
p209「黎豆」の項には、「時珍曰く、黎はやはり黒色をいったのだ。」
『古事類苑 50』(031.2/1/50)
p279 「黎豆」の項『物類稱呼』の引用有。
地方ごとの異名が紹介されており、「関西にてふぢまめといふ」とある。
「くろまめ」についても以下の記述があった。
『日本国語大辞典』(813.1/148/4)
p1141「くろまめ【畔豆】(方言)」の項②に「ふじまめ(藤豆)。鹿児島県一部」とある。
『諸本集成倭名類聚抄 索引篇』(813.2/6/2)で「クロマメ(黒豆)」あり。
『諸本集成倭名類聚抄 本文篇』(813.2/6/1)
p427「烏豆」の項に「久呂末女」とあった。
2016/12/1 コメントを受け追記
「黒大豆の食文化的考察と現況」友次 淳子
『大阪城南女子短期大学研究紀要 28』p59-88, 1994-03-04
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006162580
p.77に以下の記述
「水戸黄門(光圀公)が元禄11年(1698)12月23日に丹波篠山から献上された黒大豆の納豆を西山荘にて食したという記述が『日乗上人日記』(元禄4年~16年)稲垣国三郎編(昭和29年)に記されている。(20) ・・・
やはり黒大豆は「黎豆」と書かれたり「烏豆」となっている。」
注(20)
黄門様の“膳の研究”――大塚屋社長大塚子之吉氏(文化)
1989/07/20 日本経済新聞 朝刊 36ページ
『日乗上人日記』は所蔵がなく未確認。
所蔵資料を「納豆」「水戸」の観点からも調べたが、新しい情報は得られなかった。
【調査済資料】
『納豆の起源』(619.6/273)横山智 著 NHK出版 2014
『発酵の技法』(588.5/420)Sandor Ellix Katz 著 水原文 訳 オライリー・ジャパン 2016
『食材図典2』(596/219/2)小学館 2001.4
『地域食材大百科 第10巻』(596/355/10)農山漁村文化協会 2013
『水戸市史 中巻1』(213.1/13/2)水戸市史編さん委員会 編集 水戸市役所 1968
ほか
- 事前調査事項
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黎豆の和名はハッショウマメ、オシュラマメ。莢の長さは約10㎝、種子は灰白色、黒大豆の外観上の特徴と異なり、日本では西南暖地でよく育ち、日本には17世紀ころから栽培されていた記録がある。
本草綱目(慶長元年、1596)、本朝食鑑(元禄10年、1697)、大和本草(宝永6年、1709)においても、黒大豆と黎豆は別々に記されている。(利用者より)
- NDC
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- 植物学 (47)
- 医学.薬学 (49)
- 日本語 (81)
- 参考資料
- キーワード
-
- 黎豆
- 黒豆
- 篠山市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000191910