レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/8/14
- 登録日時
- 2018/12/05 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:39
- 管理番号
- M18081418290449
- 質問
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「芸者」のことを隠語で一般的に「山猫」というのか、いつごろから言われているのか知りたい。特に明治末期に言われていたかどうか。
- 回答
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①から④の資料では①と②③と④で異なった内容であった。
①『新修隠語大辞典』p839
「やまねこ【山猫】遊芸の拙い芸妓にして、淫を売るのに上手なる女のことをいふ。俗に山猫は腹の下に人を化かす毛を有って居るといふから起こったものである。〔花柳語〕かくし言葉の字引 一九二九」
とあり、その他の辞典の9例(辞典の出版年:一九三一 ~ 一九五六)もほぼ同様であった。
②『隠語辞典』p435
「やまねこ〔山猫〕①江戸で僧侶相手の私娼。(中略)②京都円山で茶屋の芸者。(後略)」
③『好色艶語辞典』p440~441
「やまねこげいしゃ (山猫芸者)
「山猫」とは、江戸時代に寺の境内に出没して、淫をひさいだ女性をいい、初めは寺の僧を相手としたが、後には一般人も客とした。(中略)江戸は深川仲町あたりに多く、京都は東山下の祇園社界隈にいた。(中略)
料理を運ぶ仲居兼淫売婦が京都の「山猫」であるが、江戸は寺の境内を客を漁る場としたので、表面は芸者家業であるため「山猫芸者」といった。(後略)」
④『花柳風俗語辞典』p53
「こうえんげいしゃ【公園芸者】浅草公園芸者の略。旧浅草公園五区から千束町二丁目にかけてあった花柳界の芸者。明治十七年に浅草広小路と猿若町の芸者屋が合併して、浅草公園芸者と唱えた。(中略)このあたりを奥山といったところから、「山猫」とも呼ばれた。」
「芸者」そのものを一般的に「山猫」という使われ方ではなく、
「芸が拙い芸者」「江戸時代の江戸の僧侶相手の私娼」「江戸時代の京都円山の茶屋の芸者」「明治時代の浅草公園芸者」と限定的された意味の使われ方のようである。
言葉自体は江戸時代には使われていたが、「明治時代」という条件に近いものであれば、④の「浅草公園芸者」の例の「山猫」である。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 辞典 (813 9版)
- 参考資料
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①『新修隠語大辞典』皓星社,2017,890p 参照はp839
②楳垣 実/編『隠語辞典』東京堂出版,1979,600p 参照はp435
③笹間 良彦/編著『好色艶語辞典』雄山閣出版,1989,526p 参照はp440~441
④藤井 宗哲/編『花柳風俗語辞典』東京堂出版,1982,183p 参照はp53
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①『新修隠語大辞典』皓星社,2017,890p 参照はp839
- キーワード
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- 山猫芸者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2018081418275590449
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000247161