レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/11/22
- 登録日時
- 2010/04/07 02:00
- 更新日時
- 2010/04/22 11:35
- 管理番号
- 埼久-2009-067
- 質問
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解決
剱岳初登攀争い(明治40年)について。新田次郎「点の記」には陸地測量部と日本山岳会との初登頂争いが書かれているが、本当のことか。山岳会が登ったのは2年後のようだが。①山崎安治の登山史にその事が出ているか。②小島烏水もからんでいるが、その頃小島烏水は剣岳に登りに出かけたか。
- 回答
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①②ともに資料を調べた範囲では、該当の記述は見あたらず。
①「登山史」にその事は出ているか。
『日本登山史 新稿』(山崎安治 白水社 1986)に明治40年の測量登山の記述はあるが、登攀争いや日本山岳会との関連がうかがえる記述は見あたらず。
②その頃小島烏水が剱岳に登山したか。
『小島烏水全集 全14巻』(大修館書店)『山の風流使者(日本岳人全集2)』(日本文芸社 1969)
などを調べるが該当の記述なし。
その他の調査経過をあわせて回答する。
- 回答プロセス
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①②ともに資料を調べた範囲では、該当の記述は見あたらず。
双方の質問に日本山岳会、小島烏水、剱岳、日本アルプス、日本の近代登山史といった内容が重複するので、以下にまとめて回答する。
①「登山史」にその事は出ているか。
書名は山崎安治の『日本登山史 新稿』(白水社 1986)と考えて本書を調査する。
p235、p312に明治40年陸地測量手柴崎芳太郎によるの測量登山の記述はあるが、登攀争いや日本山岳会との関連がうかがえる記述は見あたらず。
②その頃小島烏水が剱岳に登山したか。
以下の烏水の著作を調べる。
『小島烏水全集 全14巻』(大修館書店)
この中で日本アルプスや山岳会に関する著作が収録されている6,7,8,10巻を調べるが、本人が剱岳に登山した旨の記述はなし。
『山の風流使者(日本岳人全集2)』(日本文芸社 1969)
烏水の伝記として分量のある単冊資料。p633-「烏水小島久太年譜」に該当の記述なし。
その他の調査済み資料は以下のとおり。
『日本山岳会百年史 本編』(日本山岳会百年史編纂委員会 日本山岳会 2007)
『日本山岳会百年史 続編・資料編』(日本山岳会百年史編纂委員会 日本山岳会 2007)
資料編には烏水の記述、日本山岳会百年史年表があるが、該当の記述は見あたらず。
『目で見る日本登山史』(山と溪谷社 2005)p82に見開きで剱岳山頂での集合写真があり。
1909(明治42)年の「一般登山者による初めての剱岳登頂」とあり。
『山道具が語る日本登山史』(布川欣一 山と渓谷社 1991)
「登山史年表」があるが、陸地測量部の登攀記述のみ。
- 事前調査事項
- NDC
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- 戸外レクリエーション (786 9版)
- 参考資料
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- 『日本登山史 新稿』(山崎安治 白水社 1986)
- 『小島烏水全集 全14巻』(大修館書店)
- 『山の風流使者(日本岳人全集2)』(日本文芸社 1969)
- キーワード
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- 登山
- 剱岳
- 新田 二郎(ニッタ ジロウ)
- 山岳-日本
- 日本アルプス
- 陸地測量部
- 日本山岳会
- 小島 烏水(コジマ ウスイ)
- 小説-日本文学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000065816