レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/08/10
- 登録日時
- 2008/01/31 02:11
- 更新日時
- 2008/02/15 16:35
- 管理番号
- 埼熊-2007-066
- 質問
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解決
稲荷山古墳出土「鉄剣銘文」の表裏115文字の文中の名前に付いている文字「獲居」(ワケ)を調べている。「獲居」を付けない人名があるようだが、その理由やその年代を知りたい。
- 回答
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『ここまでわかった!稲荷山古墳 鉄剣銘文発見20年の成果』(埼玉県立さきたま資料館 1998)p61より、「鉄剣銘文」は、乎獲居臣(オワケノオミ)一族の8代の系譜と鉄剣を作った理由を記したもので、「辛亥の年(471年)に記す。祖先意富比■(オホヒコ)からこの銘文の主人公である乎獲居(オワケ)に至る8代の系譜を記す。・・・(後略)」と刻まれている。
詳細については、以下の関係資料を紹介する。
1 「獲居」が付いていない理由
①『ここまでわかった!稲荷山古墳 鉄剣銘文発見20年の成果』p63に、「獲居・比■(ヒコ)・足尼(スクネ)」は人名の下につく尊称で、「獲居」の身分については、王族説、ヤマト朝廷勢力下の地域の首長の称号説、国造などの地方官の官職的地位を表わす説などの諸説あり、と記述あり。
②『杖刀人のふる里に生まれて 埼玉の歴史と文化財』p115に、文中に8代の名があるが、確実に土豪として存在したと認められるのは、2代前までの半弖比(ハテヒ)、加差披余(カサハレ)の2人で、それ以前は伝承されてきた名に「獲居・足尼・比■」の尊称を付して、家系を誇ったものと思われるという説あり、と記述あり。(■は外字)。
2 「獲居」を付けていない年代
「獲居」は、4世紀に成立し、5世紀にまで及んで、天皇と並び地方の首長がとなえていた称号で、6世紀からは獲居を付けていないと、以下の資料に記述あり。
③『シンポジウム鉄剣の謎と古代日本』(新潮社)p219-221に詳細な記述および称号の変遷を図式したものがある。
④井上光貞「鉄剣の銘文 5世紀の日本を読む」(『諸君 1978年12月号』p26-44)
銘文の「獲居」は、官職的地位が姓(カバネ)化する過渡的形態のものであったことを示す。5世紀は氏族制の時代で、官職的地位も姓(カバネ)も世襲を原則としたものだったとある。p29に8代の「銘文中の人名と身分」の表あり。
以上の資料を紹介する。
- 回答プロセス
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自館目録の郷土資料を〈鉄剣〉で検索、多数ヒットする。『ここまでわかった!稲荷山古墳』p61「銘文の解読都会説」、『古代金石文と倭の五王の時代』(埼玉県立さきたま資料館 1998)p15-19「有力銘刀剣にみる漢字」の項に鉄剣の銘文と解説があり、いくつかの資料に〈獲居〉に関する詳しい記述が見つかった。
《MAGAZINEPLUS》を〈獲居〉で検索、ヒットした所蔵雑誌ほか、郷土資料を中心に該当記述を紹介する。
- 事前調査事項
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鉄剣に115文字の金象嵌の銘文が彫られていることが判明したという、1978年頃の新聞記事を確認中とのこと。
- NDC
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- 歴史補助学 (202 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 参考資料
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- 『ここまでわかった!稲荷山古墳 鉄剣銘文発見20年の成果』(埼玉県立さきたま資料館 1998)
- 『杖刀人のふる里に生まれて 埼玉の歴史と文化財』(柳田敏司 1987)
- 『シンポジウム鉄剣の謎と古代日本』(新潮社)
- 井上光貞「鉄剣の銘文 5世紀の日本を読む」(『諸君 1978年12月号』)
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『古代金石文と倭の五王の時代 彩の国造りの原点をさぐる 特別展』(埼玉県立さきたま資料館 1998)
- キーワード
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- 金石文
- 稲荷山古墳-史跡名勝-埼玉県
- 人名
- 古墳時代
- 文化財
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000041436