レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/03/06
- 登録日時
- 2012/07/06 02:00
- 更新日時
- 2012/07/06 17:32
- 管理番号
- 千県中新聞-2012-0002
- 質問
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解決
1918年(大正7年)の東京朝日新聞または東京日日新聞の新聞記事を探している。東京朝日または東京日日に掲載されていたら複写して欲しい。
【記事の内容】
1918年、仁科展で硲伊之助(はざまいのすけ)が仁科賞を受賞、9月に「我孫子付近」を含む油絵26点が展示された。
(出典:『硲伊之助作品集』松島三郎 編集 渓水社 1977年2月)
- 回答
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質問の表記は仁科展となっていましたが、『近代日本美術事典』(講談社 1989)で調べたところ、二科会(にかかい)となっていたので、以下「二科」と表記します。
1918年の二科展についてヨミダス歴史館で開催日等を検索したところ、1918年7月29日(朝刊)「二科展6」に硲氏の出品点数が26点であること、9月15日(朝刊)p7「今年の二科会/石井柏亭」に「我孫子附近」の評が載っており、1918年の二科展に「我孫子附近」を含む26点が出品されていたことが確認できました。
『東京朝日新聞』『東京日日新聞』については、次のとおりです。(1918年7月25日~9月25日を確認)
●『東京朝日新聞』
9月 3日 p6「二科会昨日から搬入」
※「硲伊之助氏から五十余点の出品申込みがあった」
9月 9日 p5「二科会内見」
※10日 p5の記事。
「第3室は硲伊之助氏の26点が全部を占め」
9月10日 p5「「少女」撤回撮影禁止五点」
※11日p5の記事。硲氏の「立てる男の前向」「女の背」も撮影禁止になった。
以上の記事は、『朝日新聞記事総覧 大正前期編 自大正1年7月至大正8年6月』(朝日新聞社編 日本図書センター 1991)に見出しが掲載されている日(上段)と実際の新聞の掲載日(下段)が異なっているため、二段に分けて記載しました。
9月12日 p4「二科会評 坂崎」
※硲氏の評あり。「先づ硲伊之助氏から見て行きたい。氏の出品は総計廿六点で、一般作品の(中略)風景では「我孫子附近」と「冬」を第一に推す。この他に…」
なお、『朝日新聞記事総覧 大正前期編 自大正1年7月至大正8年6月』によると、大正7年9月6日p5に「二科会の入選画」という記事が存在します。綴じ部分に掲載されている記事であるため当館の市販版マイクロフィルムでは全文を読めず、関連がある記事であるかどうかを確認できませんでした。(1918年の縮刷版は未所蔵)
同様に9月7日p4「二科会の○」(※題字の半分及び本文の大半が切れており判読不能)、6月8日p5「二科展は十日が初日」についてもマイクロフィルムでは内容の確認ができませんでした。
●『東京日日新聞』
9月 6日 p6「二科入選」
※入選106点の中に硲氏の作品25点の作品名が記載されています。
9月14日 p6「二科会評 山脇信徳」
※硲氏への評あり。「廿六点とは随分勉強したものです何れも精力の籠った力作で…」と書かれており、作品が26点であったことがわかります。
9月16日 p7「二科賞と樗牛賞決定す」
※二科賞を硲伊之助、林倭衛、鍋井克之、樗牛賞を関根正 二が受賞となっています。
- 回答プロセス
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・『読売新聞』データベースヨミダス歴史館にて検索
・『朝日新聞記事総覧 大正前期編 自大正1年7月至大正8年 6月』で調査。
・索引で得た情報を元に新聞記事をマイクロフィルム(1918年 9月)で調査。
- 事前調査事項
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『硲伊之助作品集』(松島三郎 編集 渓水社 1977年2月)
- NDC
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- ジャーナリズム.新聞 (070 9版)
- 絵画 (720 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 二科展
- 硲伊之助
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000108235