「レクイエム」の依頼者ヴァルゼック伯爵は、フランツ・アントン・ホフマイスターにも匿名で作曲をさせていた、ということが『モーツァルト・レクイエムの悲劇』ダニエル・N・リーソン著 第三書館 2007<762.34/214>(22150445)p181に記載されていますが、当時ゴーストライターが多かったのかどうかということはわかりませんでした。
当時の音楽著作権・著作権に関しては、以下の資料がありました。
・『欧洲ニ於ケル著作権法ノ沿革及其国際的関係ノ由来』水野錬太郎著 水野錬太郎著作権論文刊行会 1973 <021.2/ 22 > ( 10037562 ) p7
「1660年以降ニ至リ独乙ノ諸州ニ於テ一般ノ規則ヲ発シ特許ヲ受ケタル著作物ハ其期間保護ヲ享有シ著作者ハ偽版者ニ対シ制裁ヲ科スルコトヲ得ル旨ヲ定メタリ。(中略)オーストリアニ於テハ1795年ニ此種ノ規則ヲ発布セリ。(中略)1794年ニ於テ孛国(ぼっこく プロイセン)議会ヲ通過シタル著作者ノ保護ニ関スル一般的法律(Allgemeines Preussisches Ⅼandrecht)ハ独乙各邦ヲ通シテ著作権ヲ認メタル第一ノ法律ナリ、此法律ニヨリ独乙ニ於テ発行シタル凡テノ著作物ハ保護セラレタリ」
・「音楽著作権についての歴史的研究-革命期から19世紀フランスを中心に-」石井大輔
(『情報知識学会誌』 Vol.17,No.2)CiNiiオープンアクセス資料
87p「フランスにおいて音楽著作物の著作者権利が公式に認められるようになるのは、革命期の「1793年法」であった.」とあります。
・「フランスにおける音楽著作権保護と管理の史的展開」石井大輔 (目白大学総合科学研究 6,p23-34, 2010)CiNiiオープンアクセス資料
「ヨーロッパでは著作者である音楽家が自身の作品が利用されることによって得られる報酬で生計を立てられるようになるのは近代以降のことである。(中略)楽譜の印刷出版が可能になると次第に楽譜の経済的価値が注目されるが、この時も音楽家は作品を売ったことの一度きりの対価を得るだけで、作品に関するすべての権利を出版者に譲渡していた。版権を一定額で買い取るというシステムである」(p24)
「「1793年法」から見ると、同法は著作者に対する著作物の財産的権利に関する法律であり(中略)1810年の政令は(略)あらゆる著作物が著作者の許諾なく複製されることを禁じ、偽造された著作物の販売および、フランスにおいて正規に出版された著作物が他国において偽造された場合についても、その偽造品(海賊版)の持ち込みを禁じている。」(p25-26)
と記載があります。
これらによると、モーツアルトがレクイエムを作曲した1791年には、成文化した音楽著作権法はなかったようですが、間もなく法制化されたことをみれば、著作権という意識が皆無だったとも思われません。
『モーツァルト・レクイエムの悲劇』p179には18世紀末ごろにレクイエムの初版が刊行されることを知ったヴァルゼック伯爵が訴訟をおこそうとしたという記載があります。
なお現在の著作権法からみたゴーストライターについての資料は以下のようなものがありました。
・『著作権法概説』田村善之著 有斐閣 2001<021.2/228A>(21433123)第3章Ⅲ(4)著作者人格権の処分可能性(p409~412)p411に「ゆえに、別人を著作者として掲げる契約が締結されたとしても、公序良俗に反し無効となると解される。」とあります。
・『著作権』美作太郎著 出版ニュース社 1984 <021.2R/ 73> 「ゴーストライターの法理」p70-71
・「講演録 著作権法から見るゴーストライター : 著作者名義をめぐって」伊藤 真著
(『コピライト』55(649),p2-16, 2015-05)
・「著作権なるほど質問箱」(文化庁webページ)
「いわゆる「ゴーストライター」は著作者になるのですか。」
http://chosakuken.bunka.go.jp/naruhodo/answer.asp?Q_ID=0000112