レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月04日
- 登録日時
- 2014/12/26 12:11
- 更新日時
- 2014/12/26 12:11
- 管理番号
- tr343
- 質問
-
解決
江戸時代、下野国の薬用人参栽培が、松江藩へ流出したことについて知りたい。
- 回答
-
当館所蔵の地域資料からは、残念ながら本県と松江藩との繋がりを示す記述は確認できませんでした。
以下の資料・ホームページには、松江藩の人参づくりと栃木県(日光)の関係について記載がありましたので、松江藩の資料から探した方が記載は多いかと考えられます。
・松江市立図書館ホームページ 館報「ちどり」No.81 2009年12月・冬号
https://www.lib-citymatsue.jp/pdf/chidori_081.pdf (最終アクセス日:2014.1022)
2ページ目「開府400年 藩の財政難を救った出雲国の産物」の中に「御種人参(おたねにんじん)」の記載があり、「人参畑の管理を命ぜられた小村茂重(おむらもじゅう)(三代目)が、下野国(栃木県)の日光で栽培法や製法を習得して」とあります。
・『出雲国朝鮮人参史の研究』(小村弌/著 八坂書房 1999)
「第三章 第二節 茂重と日光修行」(p.84-99)に、上記「小村茂重」が日光に来た件が詳述されています。また、巻末の参考文献には、「小村家について述べた参考文献」(p.200)に14点の資料が挙げられており、これらの資料に「小村茂重」に関する記述があるのではないかと思われます。
・『江戸時代人づくり風土記 32 島根県』(石川松太郎ほか/編纂 農山漁村文化協会 1994)
p.109-110「人参方の朝鮮人参専売」に「下野国(栃木県)の日光山で栽培法や製法を習得して」とあります。
・『朝鮮人参秘史』(川島祐次/著 八坂書房 1993)
「藩営の人参―松江藩と会津藩の場合」(p.104-108)に、上記の逸話とほぼ同じ話が収録されています。
その他、関連する資料を、以下にご紹介します。
・『社家御番所日記 第14巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1974)
既出『出雲国朝鮮人参史の研究』中で、小村茂重が日光を訪れたという文化元年9~10月の日記が収録されています。ただし、関連する記述は確認できませんでした。
・『下野国誌 校訂増補』(河野守弘/著 佐藤行哉/校訂 下野新聞社 1989)
江戸期の嘉永元年に刊行された、下野国の特性を記した資料です。
「国産名物」の中に「日光人参」の記載がありますが(p.582-583)、簡単な説明のみで、松江への言及等はありません。
・『人参史』第1~7巻 (今村鞆/著 朝鮮総督府専売局 1934~38)
分量が多く、内容の詳細な確認は難しいため、各巻の副題を以下にお知らせします。
第1巻:人参編年紀、人参思想篇
第2巻:人参政治篇
第3巻:人参経済篇
第4巻:人参栽培篇・・・p268-274「松江藩の栽培」に茂重の話があります。
第5巻:人参医薬篇
第6巻:人参雑記篇
第7巻:参名彙攷篇(人参の辞典のような巻です)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 食用作物 (616)
- 関東地方 (213)
- 参考資料
- キーワード
-
- 薬用人参
- ニンジン
- 松江藩
- 下野国
- 栃木県
- 近世
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165429