栃木県庁は明治17年に現在の栃木市から宇都宮市に移転しました。
(参考:『栃木県議会の百年』(栃木県議会/編 栃木県議会 1979)、『写真でつづる宇都宮百年』(記念出版編集委員会/編 宇都宮市制100周年記念事業実行委員会 1996)
県庁移転関連の資料は以下のとおりです。
1 栃木県庁の宇都宮移転に関して記述があった資料
・『栃木県議会の百年』(栃木県議会/編 栃木県議会 1979)
p.18-19「県庁移転問題」の項に、「宇都宮移転の理由は、まず栃木県の中央で交通の便がよいこと」とあり、その他にも3つの理由を挙げ、説明しています。
・『評伝三島通庸 明治新政府で辣腕をふるった内務官僚』(幕内満雄/著 暁印書館 2010)
p.146-147「2 栃木県庁の宇都宮移転」の項に以下の記述があります。
「ときの県令三島通庸が栃木町にあった県庁を強引に宇都宮町へ持って行った(略)県庁移転の最大の功労者である河内郡長の川村伝蔵も、「三島県令に就き陳するに移庁に事を以てす。県令之を可とせり」と述べているが、それだけがすべての理由とはならないであろう。」(p.146)
「栃木県庁の宇都宮移転は、(略)何よりも巨額の移転費用を負担しつつ、機を見て熱心に県庁移転運動を重ねてきた宇都宮町と県北地方の郡民の願いが結実したもの、と考えるほうが一連の経過からも妥当なことではあるまいか。」(p.147)
・『土木県令・三島通庸』(丸山光太郎/著 栃木県出版文化協会 1979)
p.242「栃木県庁の宇都宮移転」「運動発生の素地」の項に、宇都宮について次の記述があります。
「戊辰の戦火により町の大半は焼失したが、廃藩置県後の宇都宮県の治所であり、明治5年以来栃木県の県庁所在地と並んで因獄や裁判所が設置されたほか、宇都宮町には招魂社、鎮台分営、県立病院の設置、千住までの乗合馬車の開通、二荒山神社の国弊中社列格など、栃木町をしのぐものがあった。(略)宇都宮の町勢発展のしからしむるところ県庁移転の意見の生れる素地はできていた」
・『栃木県議会史 第1巻』(栃木県議会図書委員会/編 栃木県議会 1983)
p.624「七 開場」「県庁移転」の項に、「移転の理由は、先ず宇都宮町は県の中央に位置し交通至便であることをあげ、更に庁舎として陸羽街道に面した上町の熱木町周辺に五千坪の敷地を供すると請願し、移転の際の仮庁として台陽寺の伽藍を提供しようと出願している。」とあります。
・『宇都宮市史 第7巻 近・現代編1』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1980)
p.51-54「第二章 県庁の宇都宮移転」「第一節 運動の発足」の項に、移転理由についての記述があります。
・『明治・大正・昭和のパレス 栃木県庁舎の記録』(栃木県/編 栃木県 1989)
p.11に『栃木県議会の百年』と類似の内容が掲載されています。
・『宇都宮市六十周年誌』(宇都宮市役所総務部庶務課/編 宇都宮市役所 1960)
p.1027-1030に「栃木県庁」の項がありますが、移転理由の記述は確認できませんでした。
2 塙田が選ばれた経緯に関して記述があった資料
理由が明確に記載されている資料は確認できませんでした。確認できた記述は以下のとおりです。
・『宇都宮市史 第7巻 近・現代編1』(再掲)
p.76「県庁敷地の選定」の項に「その決定事情はつまびらかでない」とあります。
・『土木県令・三島通庸』(再掲)
p.252「県庁新築工事経過 (一)敷地の選択」の項
「最終は県令の鶴の一声で塙田村二里山の現在地に決定した。」