レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年7月22日
- 登録日時
- 2017/01/27 09:56
- 更新日時
- 2017/08/23 08:54
- 管理番号
- 京高図司-2016-E1
- 質問
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解決
学校の教室の面積について定めている基準はあるのか
- 回答
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教室の面積の基準については昭和25年(1950)に作られた「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」において7m×9mというプランが示され、その後30年間、最近にいたるまで全国各地の小・中・高等学校で利用されてきた。近年新たに基準が制定されたかは確認できず、加えて、高等学校の教室の面積については「標準設計」に則っていることがわかる具体例を発見できなかった。
参考資料の記述から推測すると、少なくとも1980年代頃までに建てられた学校の教室については上記の基準が当てはまることが多いと思われる。そして、上記の数値基準は、さらにさかのぼって明治28年(1895)に文部省から刊行された『学校建築図説明及設計大要』で示され、後に一般化した四間(約7.3m)×五間(約9.0m)という間取りが元になっているようである。
また、特に小中学校について、「国庫補助基準面積」である74㎡を参考にした可能性のある上記の基準よりも広い教室、8m×8mという教室、地理的問題や人数の少なさにより上記の基準よりも小さい50㎡や30㎡という教室の例が確認できたほか、戦前から戦後にかけての小中学校の木造校舎の一部では、教室の規格の規定が従来の教室よりも狭く不便だったようだ。
- 回答プロセス
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「教室 面積 基準」等のキーワードで検索してヒットしたページ、関連書籍、および百科事典等の記述を参照した。ただし数字や単位について、元の資料での表記をそのまま用い、漢数字・アラビア数字、「m」・「メートル」等の表記が混在している箇所が複数ある。調査の流れは以下のとおり。
1.
平成17年(2005)の文部科学省の議事録(資料1) の自由討議の記録の中で、「昔から、小学校1年生から高等学校まで、教室は同じ大きさ、人数であることについてどうするかが課題なのではないか。(以下略)」という問題提起に対する回答として、「昭和25年に作成された「鉄筋コンクリート造校舎の設計標準」において、学校施設を大量に建設しなければならないという時代背景の下、教室の大きさは、明治以来の大きさである奥行き4間×間口5間を踏襲し、7メートル×9メートルとされていた。」とあり、教室の面積について小学校から高等学校までを含めた基準があるらしいということがわかる。また、同じ自由討議の記録の中で、別紙報告書(資料2)の記述を引用した「教室の面積について、報告書では、『昭和25年の〈鉄筋コンクリート造校舎の標準設計〉の教室(63平方メートル)と同様な大きさのものも多く見られる』と書かれている(以下略)」という記述があり、上記の基準が文面だけのものではなく実際の建築に用いられたことが伺える。
※文中の「設計標準」「標準設計」の表記ゆれは原文ママ。「標準設計」の記述の方が正しい。また、括弧が重複している部分で一部表記を変更した。
2.
平成24年(2012)の佐賀県玄海町の町立小中学校についての検討委員会の記録(資料3)でも、教室面積の基準として1と同じく「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」が挙げられており、実際に同町内の4校について、3校が63㎡、1校が64.8㎡とほぼ基準どおりの面積であることが表で示されている。(ただし各校の教室の寸法は記載されておらず、面積のみ記されている)。
上記の検討委員会では文部科学省の「教室等の室内環境の在り方について」(資料4)という調査を参考にしており、その第1章「教室環境づくりの経緯と現状」にて、「我が国の教室環境づくりの経緯を振り返ると、まず、昭和25年に、学校施設を全国一定レベルに整備できるよう、『鉄筋コンクリート造の標準設計』が作成された。この中で当面する教育の量的拡大に対応するために、片廊下形式の校舎が標準設計として示され、この形式の校舎が全国で建設されていった。」という記述があり、「標準設計」の注釈には「文部省(当時)が日本建築学会に委嘱して作成したもの。1教室の大きさは奥行き7メートル 間口9メートルであった。」とあった。
3.
「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」で検索すると、日本建築学会図書館のデジタルアーカイブスにおさめられている『鋼筋コンクリート造校舎建築工事[昭和25年8月]再版』(資料5)がヒットした。同書の序文によれば、旧文部省が同学会に鋼筋コンクリート造校舎の標準設計の作成を委嘱してきたとあり、本文内ではA~Dの4種類の教室のユニットプランが寸法入りで紹介されている。柱の数など差異はあるが基本的には寸法はどれも7m×9mであり、資料1・2・4に見られる「標準設計」の記述とも合致するため、上記の『鋼筋コンクリート~』内で示されているのが「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」であると思われる。「小学校建築にはA型、B型、D型が適し、中学校高等学校建築にはむしろC型を採用して教室空間のflexibilityを与えておくことが望ましいであろう。」とあることから、小中高での利用を想定したものだったと推測される。
4.
『学校建築を活かす 学校の再生・改修マニュアル』(資料6)の、戦後の学校建築の変遷についての項(p.11)でも資料5で紹介された4つのモデルについても紹介されている。
さらに、1950 年RC(鉄筋コンクリート) 造校舎標準設計のモデルスクールとして建設された西戸山小学校について書かれている文中に、「構造がRC造となっている他は、概ね明治時代に制定された『学校建築図説明及設計大要』に準じた内容であり、戦前の木造校舎の基準がそのままRC造に移行したものだった。」とあり、前述の「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」よりも古い『学校建築図説明及設計大要』という基準があるということが示された。
5.
『学校建築図説明及設計大要』について調べたところ、「国立国会図書館デジタルコレクション」にデータとして収録されていた(資料7)。明治28年(1895)に出されたもので、小学校の教室の大きさと生徒数の割合について、長:三・五間(6.3m)~五間(9m)、幅:三間(5.4m)~四間(7.2m)、備考として「教室ノ大サハ幅四間長五間ヲ超ヘサルヲ可トス」という範囲で複数の例を表で示している。また、緒言には「本書ハ学校建築ノ模範ヲ示スノ目的ヲ以テ出陳シタル学校建築図及設計ノ大要ヲ記載シタルモノナリ其建築図ハ小学校、中学校、師範学校ニ係ルト雖之ヲ同等位ノ他学校建築ニ応用シ得ヘキハ勿論トス(以下略)」とあり、小学校以外の学校建築にも応用できるものと想定されていたことがうかがえる。
6.
文部科学省のHPにある「学制百年史 第三章 教育制度の拡充」の記述によると(資料8)、明治初期の学制発布直後は、小学校の建物は寺院・民家を借用したものが多かったようだが、やがて校舎の新築が進められるようになった。教室は、生徒数によって三間×四間、三間半×四間、四間×四間半あるいは四間×五間等の種々の形のものがあったようだ。また、この間小学校設備準則・尋常中学校設備規則・尋常師範学校設備規則が相次いで公布された(資料9~11)。確認したところ、小学校設備準則では教室の大きさの最低基準について、生徒4人につき一坪より小さくなってはいけないとしているが、具体的な寸法等については規定がなかった。残り2つの規則では教室面積についての規定が確認できなかった。これらのことから、教室面積の具体的な寸法と数値基準を示したのは前述の『学校建築図説明及設計大要』が最初だと思われる。
7.
『新建築学大系29 学校の設計』(資料12)の記述によると(p.21)、明治末頃から「4間×5間が一般化し始め、大正の初めには定着していった。」らしい。また、同書では先述のA~Dの4種類のモデルに加え、もう1種類のモデルがあったと記している。『開かれた学校』(資料13)では、この追加分をE型として紹介しており、標準設計を使った学校建設が進むにつれて修正が行われるようになり、「教室を二つに割って校長室や用務室をつくる時、ちょうど良い室の大きさが得られて便利である」という理由から、E型の柱の建て方が全国的に多用され、「今ではこの型だけが使われているという状況になった。」としている。また、著者は「この修正設計が、すなわち今日建設されている大部分の学校建築の姿」であり、「『学校建築図説明および設計大要』からの変わらない学校建築と言うことが今もなお続いてきて」いて、こうした学校建築を「小学校・中学校・高等学校の区別なく、構造種別にも関係なく、大規模な学校も小規模な学校も、北でも南でも同じとしてあてはめてきた」と述べている。『開かれた学校』の初版は昭和48年(1973)であることから、少なくとも学校建築(および教室の面積)についてはこの時点までは著者の述べるような状況だったと思われる。
8.
『世界大百科事典』(資料14)の[学校建築]の項には、普通教室の大きさが大正時代に4間×5間に統一されるようになる源は『学校建築図説明及設計大要』であること、「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」が1950年から後30年間、最近に至るまで全国各地で利用されてきたとあり、7の記述と合致する。『日本大百科全書』(資料15)の[学校建築]の項目にも同様の記述あり。
9.
資料1には、小中学校の教室の大きさについて「国庫補助基準面積では74平方メートルとされているが、これは学校の補助基準面積を積算する際の一要素であり、教室の大きさを一律に決めているわけではない。」と記しており、建築基準ではなく国からの補助の算出に用いられるとして教室の面積が示されている(資料16)。ただし、資料3で備考として紹介されている三条市の小中学校の教室面積で74㎡に近い80.0㎡、72.0㎡という例があり、上記の基準が建築基準として参考にされている可能性もある。
10.
資料1で、現在の教室について「広さ8メートル×8メートル(一般的な大きさ)」という記述があった。実際に資料3では64㎡の教室の例として、宇治市と飯塚市の小中一貫校が紹介されていること(ただし間取りは記載なし)、また、不確実な例ではあるがyahoo知恵袋の「現在の小中学校の教室の広さを教えてください。」という質問(資料17)に対し、回答者が、自身の通っていた小学校については概算で8m×8m、64㎡だったと回答していることなどから、基準は確認できないものの8m×8mという間取りも存在しているようだ。
11.
資料1で、「へき地の学校では、1学級の人数が40人に満たない場合があり、例えば、50平方メートルや30平方メートルなど、かなり小さな教室が作られている。」とあり、生徒の人数等によっては基準よりも小さい教室が作られることもあるようである。
12.
文部科学省HPの「学制百年史 第四章 戦時下の教育」(資料18)では、「軍関係等の人口増の著しい地域では、不正常授業がはなはだしく、これらの特別な場合に建築する国民学校などに資材を極力節約して設計した教室の影として五・五メートル×一〇メートルの国民学校規格が制定された。(十九年一月)」とあった。資料12でもこのことについて触れており、戦後1947年に同規格を下敷きにした日本建築規格(JES)「小学校建物(木造)」が制定されたものの教室の大きさは5.5m×10mのままで、1949年に制定された日本建築規格「木造小学校建物」「木造中学校建物」では6m×10mと若干広くはなったものの、戦前の4間×5間(7.2m×9m)より条件は悪かったと述べられている(p.25)。また、資料13では、これらの規格がJESからJIS(日本工業規格、1949~)へ引き継がれる過程で、6m×10mのという教室の形状は適切ではないという声が大きくなり、この規定によらず4間×5間の昔の教室形状を採用する例が一般的となっていくと記されている(p.30)。
13.
レファレンス協同データベースで関連する事例が登録されていたので参照した(資料19、20)。
- 事前調査事項
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文部科学省の「高等学校設置基準」第十三条、十四条で校舎や運動場の面積については規定があるが(資料21)、教室については書かれていないので、基準があるかどうか知りたいとのことだった。
- NDC
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- 学校経営.管理.学校保健 (374 9版)
- 各種の建築 (526 9版)
- 参考資料
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資料1「学校施設整備指針策定に関する調査研究協力者会議(第41回)議事録」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/001/gijiroku/07061302.htm
(2017年1月23日最終確認) -
資料2「教室の健全な環境の確保等に関する調査研究報告書(概要版)【抜粋】」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/001/toushin/06012000/s003.pdf
(2017年1月23日最終確認) -
資料3「第2回玄海町立小中学校基本構想等検討委員会」
http://www.town.genkai.saga.jp/kurashi/case/enter/000001675/pagefile/000001675_002_001.pdf
(2017年1月23日最終確認) -
資料4「教室等の室内環境の在り方について-天井高さを中心として-」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/001/toushin/06012000.htm
(2017年1月23日最終確認) -
資料5『鋼筋コンクリート造校舎建築工事[昭和25年8月]再版』(「日本建築学会図書館デジタルアーカイブス〈構造計算規準〉」内)
http://strage.aij.or.jp/da1/shiyoukijyun/pdf/J7012351.pdf (2017年1月23日最終確認) -
資料6『学校建築を活かす 学校の再生・改修マニュアル』首都大学東京21世紀COEプログラム巨大都市建築ストックの賦活・更新技術育成学校再生プロジェクトチーム、2007
http://tmu-arch.sakura.ne.jp/pdf/34_gakko_j/34_gakko_j_top.pdf (2017年1月23日最終確認) -
資料7『学校建築図説明及設計大要』文部大臣官房会計課、1895〈明治二八年〉(「国立国会図書館デジタルコレクション」内)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078704 (2017年1月23日最終確認) -
資料8「学制百年史 第三章 教育制度の拡充(大正六年~昭和十一年) 第九節 教育行財政 五 学校建設」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317687.htm (2017年1月23日最終確認) -
資料9「小学校設備準則」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318014.htm (2017年1月23日最終確認) -
資料10「尋常中学校設備規則」(国立国会図書館デジタルコレクション内)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787984/470 (2017年1月23日最終確認) -
資料11「尋常師範学校設備規則」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787987/240 (2017年1月23日最終確認) -
資料12 新建築学大系編集委員会/編 , 新建築学大系編集委員会. 新 建築学大系 29 : 学校の設計. 彰国社, 1983.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I024457368-00 -
資料13 長倉康彦 著 , 長倉, 康彦, 1929-. 開かれた学校 : そのシステムと建物の変革. 日本放送出版協会, 1973. (NHKブックス)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001193542-00 -
資料14 世界大百科事典 5 (カウ-カヘチ) 改訂新版. 平凡社, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009140426-00 -
資料15 日本大百科全書 5 (かくーかる). 小学館, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001761438-00 , ISBN 409526005X -
資料16「公立学校施設費国庫負担金等に関する関係法令等の運用細目」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19570404001/t19570404001.html (2017年1月23日最終確認) -
資料17「現在の小中学校の教室の広さを教えてください。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314232403 (2017年1月23日最終確認) -
資料18「学制百年史 第四章 戦時下の教育(昭和十二年~昭和二十年) 第九節 教育行財政 四 義務教育費国庫負担法」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317721.htm (2017年1月23日最終確認) -
資料19「日本の学校(幼・小・中・高・大)の教室、机、椅子の大きさが、いつどのように決まり、変わってきたか。」(レファレンス協同データベース・一般公開)
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000068720
(2017年1月23日最終確認) -
資料20「学校施設に関する文献を探しています。資料の探し方を教えてください。」(レファレンス協同データベース・参加館公開)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000145023
(2017年1月23日最終確認) -
資料21「高等学校設置基準」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H16/H16F20001000020.html (2017年1月23日最終確認)
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資料1「学校施設整備指針策定に関する調査研究協力者会議(第41回)議事録」
- キーワード
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- 学校建築
- 教室
- 鉄筋コンクリート造校舎の標準設計
- 学校建築図説明及設計大要
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 登録にあたり、実際にあったレファレンス事例に参考資料を追加し、回答プロセス等を加筆修正した。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 学校
- 質問者区分
- 教職員
- 登録番号
- 1000207423