レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/03/13
- 登録日時
- 2012/03/15 02:00
- 更新日時
- 2012/03/15 02:00
- 管理番号
- 相-110012
- 質問
-
解決
昭和14年(1939)5月ごろの駐日イタリア大使は誰か知りたい。
- 回答
-
『来日西洋人名事典』武内博編著 日外アソシエーツ 1995 <283.03/2 常置> (20734083)
『20世紀西洋人名事典 1』 日外アソシエーツ 1995 <283.03/3/1> (20755492)
『岩波西洋人名辞典 増補版』岩波書店 1981 <280.3/7A 常置> (21358387)
によりますと
アウリティ (Auriti,Giacinto 1883-1969)です。1933-1939の間 駐日特命全権大使をつとめました。
なお、日本語ではほかに
ジャチント・アウリーチ(昭和44年12月23日朝日新聞夕刊掲載の訃報)
ヂャチント・アウリーチ(『伊太利は奮起した』三島章道著 実業之日本社 1939刊の序文 <S237/ミ 常置> (12820668) )
とも表記するようです。
- 回答プロセス
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1『来日西洋人名事典』武内博編著 日外アソシエーツ 1995 <283.03/2 常置> (20734083)巻末の来日年表で1939年の前後を調査。
2 1933年の項に“アウリティ”(駐日イタリア特命全権大使)の名前あり。(p641)
本文のアウリティの項目(p2)で確認すると、1933年に来日し8年滞在。1939年に本国に召還され帰国し退官と記載あり。参考文献として紹介されていた「イタリア大使・アウリティ」矢代幸雄著(『日本美術の恩人たち』文芸春秋新社 1961 <704.1/13>(11665536))を確認。
3 参考文献として紹介されていた昭和44年12月23日朝日新聞夕刊掲載の訃報を確認。
ジャチント・アウリーチと表記されていた。 同じく参考文献としてあがっていた『岩波西洋人名辞典 増補版』岩波書店 1981を確認すると、こちらはアウリティと表記されていた。
4 『20世紀西洋人名事典 1』 日外アソシエーツ編集部編 日外アソシエーツ 1995
<283.03/3/1> (20755492)p8 にはアウリティと表記あり。
5 インターネットを「アウリティ イタリア」で検索すると
天来書店のサイトの連載「江戸・東京の碑を歩く」
http://www.shodo.co.jp/blog/monument/
「第2回火事と喧嘩は江戸の華(中)」の泉岳寺の諸碑の項に以下の記載があった。
“義士達は、いくつかのグループに分けられて預けられ、大石主税、堀部安兵衛など十名は、三田の松平隠岐守の屋敷で切腹した。跡地はイタリア大使館になっていて、切腹した十士の碑がある。昭和14年に当時の大使が建てたもので、拓本を見ると墓誌のようにラテン語を刻んだ下に徳富蘇峯の書が刻され「伊太利亜大使アウリティ」とある。残念な事に、碑は公開されていない”
6インターネットを「アウリーチ イタリア」で検索すると『伊太利は奮起した』という三島章道著/序 アウリーチ 昭14.刊行の図書がヒット。当館OPACを検索すると所蔵していたので現物を確認すると1939年7月19日付で伊太利亜大使 ヂャチント・アウリーチとして序文が寄せられていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- ヨーロッパ (283 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 駐日大使
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000103677