レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年09月06日
- 登録日時
- 2017/09/13 00:30
- 更新日時
- 2017/12/14 00:30
- 管理番号
- 2C17004464
- 質問
-
解決
サンフランシスコの日本町の成り立ちについて知りたい。
- 回答
-
次の資料に関連する記述がありました。
『アメリカの日本語新聞』(田村 紀雄/著 新潮社, 1991.10)
「第一章 サンフランシスコに『東雲雑誌』誕生」(p.15-35)のうち、p.15-18「就学生(スクールボーイ)がまずやって来た)」で日本町が形成されていく経過について記載があります。
なお、「序章 日本人にとっての日本町・日本語新聞」(p.11-13)のp.11によると、著者の父は、サンフランシスコのジャパンタウンに早い時期にやって来た商人である旨の記載があります。
杉浦 直「サンフランシスコ・ジャパンタウン再開発の構造と建造環境の変容」『季刊地理学 2007年59号 (東北地理学会)p.1 - 23
http://jairo.nii.ac.jp/0031/00003084(2017.9.12確認)
p.5-6に「サンフランシスコ・ジャパンタウンの形成と発展」の項があります。
佃 陽子 「移民史を「場所」に刻印すること : サンフランシスコ日本町保護運動を事例として」『教養論集』2011年5月23号 p.49 - 65
http://jairo.nii.ac.jp/0259/00002250(2017.9.12確認)
p.51-52に「サンフランシスコ日本町の歴史」の項があります。
田中 泉 「サンフランシスコ日本町百周年について」『広島経済大学研究論集』30 ( 1/2 ) 広島経済大学経済学会 ,2007-10-31 p.53 - 57
http://jairo.nii.ac.jp/0074/00002375(2017.9.12確認)
p.55に「サンフランシスコは、1906年4月18日に大地震に襲われ、そのあとの火災によって中心部の建物はほとんど壊滅し、それまでサウス・オブ・マーケット(South of Market)やチャイナタウン(Chinetown)など市内の数ヶ所に分散して居住していた多くの日本人も家を失い、再建途上で1ヶ所にまとって住むようになり誕生したのが現在の日本町の起源」との記載があります。
- 回答プロセス
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1.当館所蔵資料をフリーワード “サンフランシスコ”ד日本町”で検索し、資料1が見つかる。
2.国会図書館サーチを “サンフランシスコ”ד日本町”で検索し、資料2、3、4が見つかる。
- 事前調査事項
- NDC
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- アメリカ合衆国 (253 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0000237967> アメリカの日本語新聞(新潮選書) 田村 紀雄/著 新潮社 1991.10 9784106004063 (資料1)
- JAIRO:『季刊地理学』 59巻1号 2009 杉浦 直 「サンフランシスコ・ジャパンタウン再開発の構造と建造環境の変容」 http://jairo.nii.ac.jp/0031/00003084 (資料2)
- JAIRO:『教養論集』2011年5月 23号 佃,陽子 「移民史を「場所」に刻印すること : サンフランシスコ日本町保護運動を事例として」 http://jairo.nii.ac.jp/0259/00002250 (資料3)
- JAIRO:『広島経済大学研究論集 』30 ( 1/2 ) 田中,泉 「サンフランシスコ日本町百周年について」 http://jairo.nii.ac.jp/0074/00002375 (資料4)
- キーワード
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- サンフランシスコ
- 日本町
- ジャパンタウン
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000221840