レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年11月05日
- 登録日時
- 2019/01/20 12:55
- 更新日時
- 2019/02/07 18:00
- 管理番号
- 岩手-326
- 質問
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解決
明治時代に『岩手学事彙報』などを発行していた印刷所「九皐堂(きゅうこうどう)」について知りたい。
- 回答
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「九皐堂」は、明治~大正期に、岩手県盛岡市にあった活版印刷所。創業時期は資料によって異なるが、廃業時期は各資料一致して大正12年としている。岩手の近代史や出版に関する資料をブラウジングし、下記の資料を紹介。
◆『岩手県の百年』長江好道∥[ほか]著 山川出版社∥発行 1995年
⇒p.40「出版事情と旧派短歌の人びと」
“明治八年二月には、南部藩士堀内政弼(花巻詰)が創始した活版印刷九皐堂が花巻から盛岡へ移転開業している。初期の刊行物はさだかでないが、比較的はやい時期のものでは千葉六郎『数学手引歌』(明治十七年)があり、翌明治十八年(一八八五)一月からは『岩手学事彙報』の印刷、さらに『盛岡中学校校友会雑誌』を手がけるなど大正十二年(一九二三)二月に廃業するまで四八年間にわたり岩手県印刷業界の中心となっていた。”
◆『角川日本姓氏歴史人物大辞典 3 岩手県姓氏歴史人物大辞典』角川書店∥発行 1998年
⇒p.1028「堀内【三】」
“(略)定治正弼(略)天保年間から実兄純平と図り、木製活字の製造に着手。これを知った藩は嘉永三年盛岡支配とし、盛岡に移住させた。万延元年花巻城内に揆奮場が設立した時、その活字が採用された。(略)明治一一年の士族明細帳によれば、盛岡の内丸二七番屋敷に住所があった。正弼に三男があり、嫡子政定、次男政業、三男多田政固が共同で印刷所「九皐堂」を創業。(略)”
◆『もりおか明治舶来づくし』橘不染∥著 杜陵印刷内トリョー・コム∥発行 1975年
⇒p.51「活版屋」
“堀内某なるもの、内丸(赤十字病院向かい角)に「九皐堂」と称し、明治三、四年ごろこの業を始めたり。(略)”
◆『もりおか物語 9 内丸・大通かいわい』熊谷印刷出版部∥発行 1979年
⇒p.117~118「県庁の付近」
“(略)三田さんのあの四つ角のところに九皐堂という印刷屋さんがござンしたが、田子一民さんはここで奉公しながら、向かいの盛岡中学校サ通ったそうでござンす。(略)九皐堂は木活版もある創業の古い活版印刷所で、岩手学事彙報(明治十八年創刊)を発刊していましたが、大正十二年(一九二三)に印刷屋をやめたので、学事彙報も一九七号で廃刊になったンであンすね。九皐堂のところに、昭和になってから中央食堂という食堂ができあンした。”
◆『田子一民』田子一民∥[著] 「田子一民」編纂会∥発行 1970年
⇒p.42~52「丁稚奉公」「文選小僧」「向学心に燃えて」
“(略)内丸の九皐堂(主人堀内政業氏)というのがあって、店頭では書籍を販売し、内では活版印刷業を営んでおられた。(略)九皐堂主人の堀内政業という仁は、温厚な人で、いつ接しても、春風駘蕩という感じを受け、非常になつかしい方であった。(略)九皐堂と県立盛岡中学校とは共に盛岡市内丸にあった。今日(昭和三十五年)では、中学校跡地には赤十字病院が建ち、九皐堂の跡地には全然別な建物が建っているが、その頃は、活版所と中学校の二つの建物が向い合っていた。(略)”
◆『図説盛岡四百年 下巻〔1〕』吉田義昭∥[ほか]編著 郷土文化研究会∥発行 1991年
⇒p.439「文芸誌と印刷所」
“明治のころ(略)内丸の九皐堂(略)などがあった”とあり、下記『盛岡市実地明細図』九皐堂部分の図を掲載。
◆『盛岡市実地明細図』神谷久三郎∥編 1894年
⇒p.27“活版印刷書籍小間物店 九皐堂堀内政業 盛岡市内丸”
※「国立国会図書館デジタルコレクション」公開資料(最終アクセス日:2019.1.20)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767818(コマ番号20 左上)
◆『岩手・新聞物語』 多田代三∥著 岩手日報社∥発行 1987年
⇒p.299~300「「盛岡日報」の発刊(三)」
“盛岡日報の発行所在地・内丸三十一番戸というのは、堀内政業経営の活版所「九皐堂」(きゅうこうどう)の所在地である。「九皐堂」は紫波出身の改進党県議中村栄儒が持っていた活版所「鶴揚社」の営業権と活版器械を堀内政業が譲り受けて二十六年から営業していた。(略)”
◆『岩手日報百十年史』 岩手日報社百十年史刊行委員会∥編 岩手日報社∥発行 1988年
⇒p.118「対抗紙「盛岡日報」発刊 発行印刷人は上村才六」
上記『岩手・新聞物語』と同一記載あり。
なお『岩手学事彙報』第1号と1097号(最終号)奥付掲載の発行所住所は下記の通り。
◆『岩手学事彙報 第1号』九皐堂∥発行 1885年
“発行所 岩手県陸中国南岩手郡仁王村字内丸三十一番地 九皐堂”
◆『岩手学事彙報 第1097号』岩手県教育会∥発行 1923年
“発行所 岩手県盛岡市内丸十九番地 九皐堂印刷所”
『岩手学事彙報』廃刊後に創刊された『岩手教育』第1巻第1号冒頭には下記のようにある。
◆『岩手教育 第1巻第1号』岩手県教育会∥発行 1923年
「『岩手教育』生る」
“(略)雑誌『岩手学事彙報』は、発行経営者九皐堂の営業廃止とともに、廃刊の余儀なきに至り(略)”
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 出版 (023)
- 東北地方 (212)
- 参考資料
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長江好道 [ほか]著 , 長江, 好道, 1935-. 岩手県の百年. 山川出版社, 1995. (県民100年史 ; 3)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002466585-00 , ISBN 4634270307 (当館請求記号:K/206/イ6) -
竹内理三 [ほか]編纂 , 竹内, 理三, 1907-1997. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 3. 角川書店, 1998.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002754996-00 , ISBN 4040020308 (当館請求記号:KR/288.1/カド/3) -
もりおか明治舶来づくし. 杜陵印刷内トリョー・コム, 1975.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I044626813-00 (当館請求記号:K/211/タ1/1) -
もりおか物語 9. 熊谷印刷出版部, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036514018-00 (当館請求記号:K/291.1/モ8/1-9) -
田子一民 著 , 田子, 一民, 1881-1963. 田子一民. 「田子一民」編纂会, 1970.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001212233-00 (当館請求記号:K/289.1/タコ) -
吉田義昭, 及川和哉 編著 , 吉田, 義昭, 1931- , 及川, 和哉, 1933-2016. 図説盛岡四百年 下巻 1. 郷土文化研究会, 1991.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002127535-00 (当館請求記号:K/211/ヨ1/4-2) -
神谷久三郎 編 , 神谷, 久三郎. 新鐫盛岡市実地明細図. 横井顕行, 1894.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000428980-00 (当館請求記号:22/58) -
多田代三 著 , 多田, 代三, 1928-. 岩手・新聞物語. 岩手日報社, 1987.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001908219-00 (当館請求記号:K/070/タ3/2) -
岩手日報社百十年史刊行委員会 編 , 岩手日報社. 岩手日報百十年史. 岩手日報社, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001940757-00 (当館請求記号:K/070/イ6) - 九皐堂. 岩手学事彙報 第1号 第1097号 (当館請求記号:KS37/イ1)
- 岩手県教育会. 岩手教育 第1巻第1号 (当館請求記号:KS37/イ13)
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長江好道 [ほか]著 , 長江, 好道, 1935-. 岩手県の百年. 山川出版社, 1995. (県民100年史 ; 3)
- キーワード
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- 出版
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000250433