レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年07月21日
- 登録日時
- 2018/07/21 14:36
- 更新日時
- 2018/07/26 17:21
- 管理番号
- 145
- 質問
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解決
昭和39年(1964)の東京オリンピックの際、尼崎市内で聖火リレーが行われたと聞いたが、ルートはどのようなものだったか。
- 回答
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昭和39年10月10日の東京オリンピック開会式に先立ち、全国を4つのルートに分けて聖火リレーが行われました。尼崎市では9月25日に聖火が通過することとなり、準備が進められたものの、前日に台風20号が九州に上陸し被害も発生したため、リレーは中止され、聖火を載せた車列が市内を通過しただけに終わりました。
『月刊あまがさき』によれば、聖火ランナーは以下のような7区間7.3キロメートルを走る予定でした。聖火は11時12分頃、西宮市から引き継がれ、「武庫大橋東詰」をスタートして国道2号線を東に進みます。その後、「関電大島サービスショップ前」(引継ぎ地点からの距離1.2キロメートル、現・大庄北5丁目)を経て、浜田4丁目交差点からから道意線を北上し、浜田排水路に架かる「松原橋北側」(同1キロメートル)で引き継ぎを行ったあと、今度は橘通を東に進み、「市役所南広場」(同0.8キロメートル)にいたります。この後、県道142号線を南に進み、「梅の里交差点」(同1.1キロメートル)を更に南に進んで、再び国道2号線にいたります。その後、国道2号線を東に進み、「尼崎郵便局前」(同1.1キロメートル、現・昭和通2丁目)、「尼崎松竹北側」(同1キロメートル、現・杭瀬南新町4丁目)を経て、「左門殿橋西詰」(同1.1キロメートル)に11時57分頃到着することになっていました。
各区間の走者として尼崎市聖火リレー実行委員会によってスポーツ青少年161名が選ばれ、各区間に正走者1名、副走者2名、随走者20名、計23名が参加する予定でした。しかし、当日はリレーが中止されたことで、市民やランナーには市役所前で聖火が納められたランタンが披露されただけでした。
なお、オリンピック終了後にオリンピック出場選手らが参加した国際親善柔道競技尼崎大会が市立体育館で開催されることとなりました。この大会にあわせて9月25日の聖火リレーに参加する予定だった161名のランナーにより、市役所屋上で採火された聖火が10月25日に市役所から陸上競技場までリレーされ、「尼崎版」聖火リレーとして報じられました。
- 回答プロセス
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1 以下の文献を紹介した。
◆井上衛「街角のモータリゼーション~あの頃の東京オリンピック~」『高速有鉛デラックス』通巻36号(内外出版社,2013)
聖火リレーの準備や当日の自動車輸送、10月に尼崎市内で行われた聖火リレーついて、使用された車に注目しながら、解説しています。
2 尼崎市内における聖火リレーを取りあげた以下の記事を紹介した。
◆「聖火リレー近づく―沿道を拍手で迎えよう」『月刊あまがさき』第1巻第5号、尼崎市役所市長公室広報課、1964年9月
聖火リレーのコースや正走者7名の経歴などが紹介されています。
◆「残念がる走者たち―あっけない聖火の輸送」『朝日新聞』(尼崎版)1964年9月26日付
台風のためリレーが中止となり、聖火が自動車で輸送されたことを報じています。
3 国際親善柔道競技尼崎大会での聖火リレーについて報じた以下の記事を紹介した。
◆「聖火リレー尼崎版を、"このままでは走者や市民にすまぬ"、国際柔道大会の当日に」『朝日新聞』(尼崎版)1964年9月29日付
◆「きょう尼崎市で聖火リレー、陸上競技場開きかねて」『朝日新聞』(尼崎版)1964年10月25日付
◆「"月遅れの聖火"たたえる、尼崎」『朝日新聞』(尼崎版)1964年10月26日付
4 尼崎市広報課が撮影した写真を紹介した。
◆「聖火リレー」(ベタブック70)
- 事前調査事項
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なし
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- スポーツ.体育 (780 9版)
- 参考資料
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- 高速有鉛デラックス,通巻36号,内外出版社,2013 (当館請求記号 537.6/A)
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月刊あまがさき. 尼崎市.第1巻第5号,1964
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000026478-00 (当館請求記号 318.6/A) - 『朝日新聞』(尼崎版)1964
- 広報課写真フィルム (当館請求記号 B/85/F1964-82)
- キーワード
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- 東京オリンピック
- 尼崎市
- 聖火リレー
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000238778