レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年09月09日
- 登録日時
- 2012/09/08 22:39
- 更新日時
- 2017/07/05 11:10
- 管理番号
- 20120908-8
- 質問
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解決
白村江の戦いについて知りたい。
- 回答
-
以下の資料がみつかった。
<事典類>
白村江の戦い(はくそんこうのたたかい) コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
https://kotobank.jp/word/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%28%E3%81%AF%E3%81%8F%E3%81%9D%E3%82%93%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%84%29-1576926#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 (2017/07/05 確認)
「663年(天智天皇2)朝鮮半島白村江河口付近での日本・百済(くだら)連合軍と唐・新羅(しらぎ)連合軍との海戦。白村江は朝鮮半島南西部を流れる錦江(きんこう)の古称。「はくすきのえ」とも読む。(以下略)」
参考文献 鬼頭清明著『白村江』(教育社歴史新書)
白村江の戦(はくそんこうのたたかい) 『国史大辞典』
「天智天皇二年(六六三)、日本の百済救援軍が白村江口で唐軍に敗北した戦。白村江は『日本書紀』の表現で「はくすきのえ」ともよみ、『旧唐書』や『新唐書』では白江、『三国史記』では白沙などと記され、伎伐浦ともいい、熊津江(錦江)下流の名称。なお、これを東津江の下流とする説もある(以下略)」
参考文献:
朝鮮総督府朝鮮史編修会編『朝鮮史』一ノ一―三
鬼頭清明『白村江』(『歴史新書』三三)
鮎貝房之進「白江・白村江」(『雑攷』四所収)
池内宏「白江及び炭峴について」(『満鮮史研究』上世二所収)
同「百済滅亡後の動乱及び唐・羅・日三国の関係」(同所収)
八木充「百済の役と民衆」(小葉田淳教授退官記念事業会編『(小葉田淳教授退官記念)国史論集』所収)
井上秀雄「白村江の戦い」(大林太良編『日本古代文化の探求』戦所収)
全栄来「周留城・白江の位置比定に関する研究」(『アジア公論』九ノ一二 一〇ノ二)
田村圓澄「百済救援考」(『熊本大学文学部論叢』五)
坂元義種「白村江の戦い」(『歴史読本』二八ノ一九)
滝川政次郎「劉仁軌伝」(『古代文化』三六ノ七・九・一一)
<関連図書>
白村江 Webcat Plus Minus による検索
http://webcatplus.nii.ac.jp/pro/?q=&t=%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F&ps=&pe=&m=&c=&i=&r=&p=&a=&l=&n=50&o=yd&lang=ja (2017/07/05 確認)
<関連論文・記事>
白村江 CiNii Articles による検索
http://ci.nii.ac.jp/search?title=%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F&range=0&count=200&sortorder=1&type=1 (2017/07/05 確認)
<日本語以外のキーワードによる検索>
韓国(朝鮮)語、中国語による検索の有効性について、
東京学芸大学附属図書館様より、ご教示を頂いた。
韓国語:백강 전투 백강구싸움、백강구전
中国語:白江口之战
などのキーワードで、韓国語、中国語の図書・論文データベースによる検索をおこなうことで、
対戦国である朝鮮、中国の側からの資料収集ができる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 朝鮮 (221 9版)
- 参考資料
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Webcat Plus Minus
http://webcatplus.nii.ac.jp/pro/ (2017/07/05 確認) -
CiNii Articles
http://ci.nii.ac.jp/ (2017/07/05 確認)
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Webcat Plus Minus
- キーワード
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- 白村江
- はくすきのえ
- はくそんこう
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000111118