① この出来事については、『鴎外の恋舞姫エリスの真実』六草いちか著 講談社 2011年<913.6/3520>(22517304)のほか、『鴎外研究年表』苦木虎雄著 鴎出版 2006年<910.26/2430 常置>(21952734)のp.235~240、『国文学 解釈と鑑賞 第46巻8号通巻594』(1981年8月)掲載「特別寄稿 来日したエリーゼへの照明」金山重秀・成田俊隆著 に記述があるが、費用については記述なし。「特別寄稿 来日したエリーゼへの照明」には帰路の行程の記載はあり、それによるとドイツ船ジェネラルウェルダー(General Werder)で横浜から神戸・長崎を経由し香港に行き、香港から別の欧州行の船(別のドイツ船ネッカー号(Neckar)に乗り、スエズ運河を経てイタリアのジェノアで下船したとの記述がある。
② 一般的な船賃ということでは、『懐しの時刻表』中央社 1972年<686.5/4 常置>(11640653)に『汽車汽船旅行案内(明治31年8月第47号 庚寅新誌社版)』があった。
p.92「日本郵船会社定期船発着日時及賃金一覧表」の記述によると、航路は横浜-神戸-門司-香港-新嘉坡(シンガポール)-坡南-古倫母(スリランカ・コロンボ)-蘇士(エジプト・スエズ)-ポートセッド(エジプト・ポートサイド)-馬耳塞(フランス・マルセイユ)-倫敦(イギリス・ロンドン)-アントワープ(オランダ・アントウェルペン)。
運賃は、日本(横浜、神戸、門司からの船賃は同額)から馬耳塞(マルセイユ)までが上等400円、中等280円、特別下等165円、下等135円。倫敦とアントワープまでは同額で上等450円、中等300円、特別下等180円、下等150円。
ただし、明治21年には国内にヨーロッパ航路をもつ船会社はなく、年代以外にも条件に違いがあると言える。
③ 別のアプローチとして、渡航費用ならば、当時のヨーロッパ留学旅費が目安になるのではと調査するも、旅費だけを示した数字は発見できず。
④ 同じく日本・ヨーロッパ間を移動した、いわゆるお雇い外国人の旅費を調べてみた。
『お雇い外国人 1 概説』梅渓昇著 鹿島研究所出版会 1968年 のp.117~119には『法規分類大全』第一編、外交部門四、「外人雇使」から費用について引用されている。これによると、単身での英独からの来航費・帰航費が記載され、その旅費はどちらも650円とあった。だが、引用元の通達は明治5年8月20日文部省達第20号であり、時代が16年違う。
日本郵船のヨーロッパ航路は開通しておらず(『日本郵船百年史資料』日本郵船株式会社編 日本経営史研究所編 日本郵船 1988年 p.705「1.主要航路の沿革 1創業から戦前の航路一覧による)、外国船での旅費だと思われるが、「欧州エ一往旅費の例」では新約克(ニューヨーク)経由での航路が示されており横浜-ニューヨーク間旅費450円、ニューヨーク船待ち4日20円(1日5円)、ニューヨーク-英リブルプール(リバプール)間船賃賄料共80円、リバプール-ロンドン間1日5円、鉄道1日分食料3円、ロンドン-ベルリン間海陸旅費57円、ニューヨークより道中諸雑費35円、合650円となっている。
この金額は明治5年の通達なので時代が違ううえ、またこの例ではニューヨークを経由する行程となっているので、香港-スエズ運河経由のものとは条件が違う。
※『法規分類大全』第一編、外交部門四、「外人雇使」は、国立国会図書館デジタル化資料でも見ることができる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994197 p.649~657(コマ番号339~343) 旅費の記載はp.655~657(コマ番号342~343)
また、『資料御雇外国人』ユネスコ東アジア文化研究センタ-編 小学館 1975年<210.61/64>(10394633)第三章 三、各省資料 7文部省(p.99)によると、『傭外国教員録』明治14~20年にお雇い外国人教師の国名、姓名、職業(受持学科)、月給、旅費、雇期間、居所を記してあるとある。
国立国会図書館デジタル化資料では、『傭外国教員録. 明治13年7,8月調』を見ることができる(
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780315 )ので確認すると、例えば、ドイツ人David Braunsの旅費は、ドイツより来航(明治12年)、帰国(明治14年)ともに650円とある。(p.2 コマ番号4)
その他にp.3~4には東京大学医学部に来た教員が記載されているが、いずれも650円となっている(明治11年~16年)
前掲の文部省通達そのままの金額であるが、年度も近いので目安にはなると思われる。