レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/09/05
- 登録日時
- 2015/03/15 00:30
- 更新日時
- 2015/03/17 09:05
- 管理番号
- 千県東-2014-0021
- 質問
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解決
『房総文学散歩 下』(鳥海宗一郎著 千秋社 1973)p115に「柳原白蓮・旧居跡」の項目があり、そこに、大正十年に白蓮が駆け落ち先の香取神宮にほど近い旅館に身を隠した。(千葉日報昭46・10・5付)、との記述がある。千葉日報の記事に旅館の名前の記述があるか。また、その旅館が「松本屋」か。
- 回答
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1.『千葉日報』の記事には、旅館名の記載なし。旅館に関する記載は次のとおり。
●荒井愛子「ふるさとゆかりの歌人を訪ねて 柳原白蓮 佐原の隠れ家の跡」(『千葉日報』1971年10月5日)4面
「香取神宮にほど近い旅籠に身を隠したのである。(中略)それは、「剣聖飯篠長威斉」の碑のある旧神宮参道に面した静かな木立に囲まれた一角であった。(中略)ふたたび訪れてみると、ちょっと農家風で二階建の、さして大きくないが、格子戸や、広めの土間のある、風雨に洗われあらわになった木目に、年月のぬくもりさえ思わせていた古風な旅籠も今は、すっかりとり払われ、その一部が材木置き場になっていて、若い大工が黙々とかんなを使っていた。(中略)「ここにあった家なら二、三年前にとりこわされたよ。」と云う。」
2.他の新聞記事データベースを検索したところ、『朝日新聞』に次の記事が見つかった。
●「白蓮夫人の隠れ家 寄辺ないさすらひの旅をつづけて千葉県香取在に流る 愛に苛まれゆく忍苦の其後<写> 」(『朝日新聞』 1923年7月23日 東京朝刊)3面1段【資料1】
「古杉にかこまれた藁葺の二階屋で、入口に掲げられた名ばかりの旅人宿□松本家の古び□看板も、古い宿場の面影を偲ばせる、入口の壁には滔天氏の何とやらの書が掲げられて、燁子とのゆかりも読める」
この後、松本氏のインタビューが続き、白蓮の宿泊と、寄留について宮﨑家が無関係であることが述べられている。また、旅人宿松本家の写真が載っている。
※□は、かすれて読めない文字。
●「白蓮女史香取に静養」(『朝日新聞』 1923年7月23日 東京夕刊)2面5段【資料2】
「宮﨑東天氏の片腕として知られた香取郡松本蔵次(まつもとくらじ)方に目下静養中」
3.松本屋旅館について
『佐原・小見川の昭和史』(安藤操〔ほか〕編 千秋社 1994)p70松井天山の「千葉県佐原鳥瞰図」(昭和5年)を確認すると、「松本屋旅館」の名称が見られる。
- 回答プロセス
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『千葉日報』1971年10月5日の記事を確認したが、旅館の名称はない。
聞蔵IIビジュアル、ヨミダス歴史館、毎日Newsパックなど他の新聞記事データベースを検索すると、『朝日新聞』の記事に記載があった。
また、郷土資料から香取神宮周辺の旅館等を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (071 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】「白蓮夫人の隠れ家 寄辺ないさすらひの旅をつづけて千葉県香取在に流る 愛に苛まれゆく忍苦の其後<写> 」(『朝日新聞』 1923年7月23日 東京朝刊)
- 【資料2】「白蓮女史香取に静養」(『朝日新聞』 1923年7月23日 東京夕刊)
- キーワード
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- 柳原 白蓮(ヤナギハラ ビャクレン)
- 松本屋(マツモトヤ)
- 千葉県-香取市(チバケン カトリシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000169019