レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月22日
- 登録日時
- 2011/11/09 18:43
- 更新日時
- 2011/12/04 16:43
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-1369
- 質問
-
解決
①美濃における白山信仰の流れ
②一向坊主と称された人たちについて(久助は堀久太郎、三助は奥田三右衛門と名乗っていたらしい)
- 回答
-
①について
下記の資料に掲載がありました。
○『岐阜市史 通史編 原始・古代・中世』p757~800(第16章 浄土真宗とその他の諸宗教)に美濃における浄土真宗の弘通から、河野門徒更には一向一揆についての記述が見られます。
○『高鷲村史』p400~414に泰澄大師が
***以後、引用***
「白山を開踏せられ、道を美濃国にとり、道場を開基し、神社を開創して遠藤に布教したと伝えられる。」
***引用おわり***
に始まる?記述があります。
○『岐阜県真宗』(林周教著 美濃文化研究所刊)には、親鸞聖人と美濃門徒に始まる岐阜県での教化を改宗寺院を挙げて記述されています。
②について
『白山神道と浄土真宗の二岐併信 柳田学毛坊主論考(1)』によりますと、柳田国男の毛坊主論の要旨として、
***以下、引用***
美濃馬場白山禅定の郡上郡北濃村大字長滝には、民家で坊と呼ぶのがあり、長滝寺繁昌の時代には、3000坊があったというが、明治の初年まで残っていたものは、十数坊で、其の内二坊を除いて皆世襲妻帯の坊主で、どうしても、幕(本文のまま。暮か?)せなくなって農専門に成り得なかった坊主は、屋敷と田畠を売り、または貸して出てしまった。
***引用おわり***
との記述は見つけましたが、ご指摘の久助(堀久太郎)、三助(奥田三右衛門)に関する一向坊主としてのは見つけることができませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 宗教 (160)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096355