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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000258850
提供館
(Library)
いわき市立いわき総合図書館 (2310140)管理番号
(Control number)
いわき総合-地域596
事例作成日
(Creation date)
2019年07月19日登録日時
(Registration date)
2019年07月19日 15時01分更新日時
(Last update)
2019年07月25日 15時04分
質問
(Question)
いわき民報 昭和27年5月4日3面に「坂本翁郷土入り 平駅頭盛んな歓迎 昭和の浦島」と題した記事を読んだ。歓迎を受けたのは、坂本儀助氏で、内郷小島町で羽二重織を営んでいた坂本勝次郎の長男である。勝次郎氏の三男は坂本義孝氏で磐中一回卒、その息子の義和氏は、東大の国際政治学者となったと聞いているが、確認したい。
また、小島保育園(いわき市内郷小島町)に坂本儀助氏の銅像が建っているというが、その経緯を知りたい。
回答
(Answer)
坂本儀介氏、坂本義孝氏については、【資料2】「福島県人物風土記」p297に掲載。「坂本儀助は、明治43年に製紙工場を閉鎖して渡米、苦心の末、農業経営に成功した農業移民の先駆者。坂本義孝は、県立磐城中学校の第1回卒業生で、上海の東亜同文書院を卒業し、キリスト教の影響をうけ、熱心な平和主義者であり、反戦運動家」とあり。
次に、坂本義孝氏が磐城中学校の第1回卒業生であることから、【資料3】「磐中物語1」p69に「次男は東京大学助教授で、国際法の権威者であった。」との記述。
坂本儀助氏の銅像については、【資料4】小島保育園のHPに、保育園の沿革の記事(胸像建設の経緯も掲載)があり、「昭和33年10月1日 園庭に坂本儀助氏の胸像が完成する」を確認。
【資料5】いわき民報 昭和33年10月10日3面に、「故坂本儀助翁の胸像 11日 小島保育園で除幕式」の記事(胸像建設の経緯等を説明)があり。
【資料6】福島民報 昭和33年10月13日5面に、「内郷小島保育園 故坂本翁の胸像除幕式」の記事。
回答プロセス
(Answering process)
上記回答のとおり。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本  (281 9版)
教育史.事情  (372 9版)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】「いわき民報」昭和27年5月4日3面 〔いわき市立図書館ホームページ>郷土資料のページ>新聞〕
【資料2】「福島県人物風土記」暁教育図書 1982(K/281/フ・1110094123)
【資料3】「磐中物語 1」荒川 禎三/著 磐中物語刊行会 1977(K/372/ア・1110062575)
【資料4】社会福祉法人いわき福音協会 小島保育園 HP 園の概要
【資料5】「いわき民報」昭和33年10月10日3面 〔いわき市立図書館ホームページ>郷土資料のページ>新聞〕
【資料6】「福島民報」昭和33年10月13日5面
キーワード
(Keywords)
磐中
小島保育園
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査 事実調査
内容種別
(Type of subject)
人物 郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000258850解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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