レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月07日
- 登録日時
- 2019/07/05 11:55
- 更新日時
- 2019/07/18 13:32
- 管理番号
- 1740
- 質問
-
解決
新美南吉『良寛物語 手毬と鉢の子』の中に出てくる「向こう通るは伊勢の道者か熊野道者か…」という歌のCDはないか。
- 回答
-
以下の資料を提供した。
①『柳田國男全集11』著:柳田国男/出版:筑摩書房(380.8/ヤ/11)
②『想い出の歌謡集5』唄:北島三郎/日本クラウン(D290/キ/5)
- 回答プロセス
-
Googleにて「向こう通るは伊勢の道者か」で検索。
Googleブックス内『流行りの唄の誕生(著:朝倉喬司)』がヒット(当館に所蔵無し)。その中には
「(略)…芝居の『お夏清十郎』に出てくる有名な台詞『むこう通るは清十郎じゃないか』から引いたものに違いないのだがその源泉をさらに民俗社会にたどると『むこう通るは…』は各地の手まり歌の出だしの決まり文句だったのである。『むこう通るは、伊勢の道者か、熊野道者か、肩に掛けるかァたびら(帷子)』といった手まり歌を近世期の子どもたちはしきりに歌ったものであり、手まり歌がほぼ一律にこういう出だしをもつの『さうあるべき理由がある』からだと柳田国男はのべている(『民謡覚書』)。」
とあり、このことからこの歌は新美南吉の創作ではなく、各地で歌われていた手まり歌だと分かる。
『流行りの唄の誕生』の中の『民謡覚書』を業務システムにて検索。①がヒットし、P.200にて
「むかふ通るは 伊勢の道者か 熊野道者か…(略)」と唄の記載有。
P.202~203にて「お夏清十郎のあはれな恋の歌なども、やはり斯う云ふ階級の間にうたはれたものが、最も世に行はれたと云ふことは、此の如き『向ふ通るはの文句が伝はつて居るので推察し得られる。さうして現に亦清十郎の歌が、今でも無心の子の手毬唄の中に、保存せられて居るのである。」と有。
このことを踏まえCDを探す。まず業務システムにて「てまりうた」で検索。
それらしい手まり歌のCDはヒットせず。
①の内容から「お夏清十郎」という歌が手まり歌としてあることから、再度業務システムにて「お夏清十郎」で検索。
②の7曲目に「お夏清十郎」の歌あり。
他にもないかと思い、「むかふ通るは…」の唄について①のP.201に
「此歌の下半分と至つて近いものが、土佐の域地方に保存せられ、上半分の方は美作の西部で、近頃まで歌はれて居た通りである。他の府県にも同じ歌が無いのでは無く、只少しづゝの相異があると云ふだけである。」とあったため民話(NDC388)の棚をブラウジング。
美作は岡山県のため『岡山のわらべ歌』を確認。こちらは楽譜付きだが完全に歌詞が一致するものではなかった。
また、質問をいただいた際、新美南吉のとおっしゃられていたため、『日本わらべ歌全集 愛知のわらべ歌』も確認。
近いものにP.54「向こう通るは<手まり歌>」の楽譜が載っていたが、冒頭の部分以外が異なるものであった。
以上のことを踏まえ①、②をご提供し回答とした。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 風俗習慣.民俗学.民族学 (380 9版)
- 参考資料
-
-
柳田國男全集 第11巻. 柳田国男 著 , 柳田, 国男, 1875-1962. 筑摩書房, 1998.(380.8/ヤ/11)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002721375-00 , ISBN 4480750711 -
想い出の歌謡集 5. 北島三郎. 日本クラウン, 2006.(D290/キ/5)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008136564-00
-
柳田國男全集 第11巻. 柳田国男 著 , 柳田, 国男, 1875-1962. 筑摩書房, 1998.(380.8/ヤ/11)
- キーワード
-
- 一般書
- CD
- 手まり歌
- 新美南吉
- 良寛物語
- 手毬と鉢の子
- 美作
- 柳田国男
- お夏清十郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000258349