レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2019/05/03 17:28
- 更新日時
- 2019/09/22 12:10
- 管理番号
- 中央ー2019050101
- 質問
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観瀾亭(閣)の跡地に報済園が建てられたと思うが、観瀾亭(閣)がどこにあったのかについてわかる資料が知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介しました。
①『関の籠寅研修録 郷土物語』
②『郷土 第30集』
③『馬関覚え帳』
④『下関市街図 (明治32年版・大正8年)』
⑤『西日本住宅詳細図 下関市 1959年版』
- 回答プロセス
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国立国会図書館のデジタル資料より『七十八日遊記』(本文p7)に小門の観瀾亭と記載されていることが確認できた。
報済園の場所を確認。報済園は下関市伊崎町に昭和元年に建てられたことが判明。『下関の記念碑 旧市内編』(p23)
大正・明治の地図より観瀾亭がないか確認。明治三十二年版の地図に観瀾閣と記載あり。大正八年の地図には長保楼支店と記載あり。地図からはそれ以上確認ができず、地誌や郷土資料を確認。
『下関市史市制施工-終戦』(p246)で『馬関覚え帳』の引用の中に料亭等の記事があり、『馬関覚え帳』をあたる。p308~317の伊崎町の記述の中に観瀾閣についての記載あり。観瀾閣について、「今では造船所が買っているそうな」と記載あり。他、『関の籠寅研修録 郷土物語』(p18)長保楼小戸支店観瀾閣とあり、優雅な料亭と記載されている。写真つき。また、『郷土 第30集』(p72)にも観瀾閣の記載あり。
- 事前調査事項
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レファレンスインタビューで利用者が調べていることは以下のとおり。
・観瀾亭は『七十八日遊記』の中に記載がある。
・すでに入手されていた地図に観瀾閣の記載があり、観瀾亭のことではないかと推測されていた。
・化粧品問屋、藤津良蔵が建てた別荘の報済園は観瀾亭(閣)の跡地にできたのではないかと推測されていた。
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 商業史.事情 (672 8版)
- 参考資料
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- 豊田行二∥著 . 『関の籠寅研修録 郷土物語』. 大隅道弘∥発行, 2016. p. p18写真つき (当館請求記号 S/28/ホ, 当館資料番号 1014524654)
- 下関郷土会/編. 郷土/30. 下関郷土会, 1984. p. p73 (当館請求記号 S/25/キ/30, 当館資料番号 1010933560)
- 原田磯夫∥著. 『馬関覚え帳』. 朝日新聞下関支局, 1954. p. p308~317 (当館請求記号 S/24/ハ, 当館資料番号 1010671525)
- マツノ書店/編. 下関市街図 明治32年版 大正8年版. マツノ書店, 1977. (当館請求記号 S/29/マ/キミドリ6, 当館資料番号 1010938791)
- キーワード
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- 料亭
- 伊崎町
- 明治時代
- 小門
- 下関
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000255590