レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20121013
- 登録日時
- 2018/12/20 00:30
- 更新日時
- 2018/12/20 00:30
- 管理番号
- 1001786
- 質問
-
解決
「富士山」を詠んだ程順則の漢詩を見たい。
- 回答
-
【回答資料】
①
『琉球千草之巻』 (慶留間 知徳著、慶留間勇、1962.8)
p26-30 「偉人之部 名護程順則の事」中のp27に、程順則が江戸上り入府の時富士山に題してとして、次の詩がある。
富士山
允 是 群 山 祖
扶 桑 第 一 尊
満 頭 生 白 髪
鎮 国 護 児 孫
②
『沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1977年2月』 ([沖縄県立図書館]、[2011.3])
2月4日刊6面 「ある誤謬 名護親方と富士山の詩」(真栄田義見 [著])に、「私は二十三の家庭を訪ねた時に、富士山を詠じた程順則の扁額を見たことがある。」とあり、下記漢詩の掲載がある。
ただし、この資料では、程順則ではなく孫の名護親方のものとしている。
真に是れ群山の祖 真 是 群 山 祖
扶桑第一の尊 扶 桑 第 一 尊
満頭白髪を生じて 満 頭 生 白 髪
国を鎮め児孫を守る 鎮 国 守 児 孫
③
『沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1977年3月』 ([沖縄県立図書館]、[2011.3])
3月15日刊5面 「富士山の漢詩について」(佐渡山安治 [著])、見出し「紛れもなく程順則の作 : 「蓋簪録」が裏づける好資料」と題し、下記漢詩が掲載されており、詠み人が誰かについての考察がある。また、江戸時代にこの漢詩を紹介した文献について『大島筆記』他多数あるとの記述がある。
真 是 群 山 祖
扶 桑 第 一 尊
満 頭 生 白 髪
鎮 国 護 児 孫
③
『琉球学集説 八二?八四(昭和五一年?昭和五二年)』(1976?1977)
p24 ②の記事の掲載がある。
p40 ③の記事の掲載がある。
【参考資料】
下記資料に掲載は確認できなかった。
①
『名護親方程順則評伝』 (真栄田 義見∥著、沖縄印刷団地出版部、1982.11)
②
『名護親方程順則資料集 1』 (名護市教育委員会名護市史編さん室∥編、名護市教育委員会文化課市史編さん係、2005.3)
③
『高校生のための郷土の文学』 (沖縄県教育委員会高等学校教育課∥編、沖縄県教育委員会、1996.3)
④
『琉球漢詩選』 (島尻 勝太郎∥選、上里 賢一∥注釈、ひるぎ社、1990.1)
⑤
『中山詩文集』 (上里 賢一∥編、九州大学出版会、1998.4)
⑥
『雪堂燕遊草』 (程 順則∥(寵文)著、奎文館、1714(正徳4))
⑦
『フォーラムと特別展示会名護親方程順則』 (名護市∥[編]、名護市教育委員会∥[編]、名護、1992.3表紙)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 文学 (9)
- 参考資料
-
- 琉球千草之巻 慶留間 知徳/著 慶留間勇 1962.8 (p27)
- 琉球学集説 八二?八四(昭和五一年?昭和五二年) 天野鉄夫新聞切抜帳 32 1976?1977 (p24、40)
- 沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1977年2月 [沖縄県立図書館] [2011.3] (1977.2.4日刊6面)
- 沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1977年3月 [沖縄県立図書館] [2011.3] (1977.3.15日刊5面)
- キーワード
-
- 富士山
- 程順則
- 漢詩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000248810