レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/09/04
- 登録日時
- 2018/09/26 00:30
- 更新日時
- 2018/09/26 00:30
- 管理番号
- 1000000937
- 質問
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解決
胡差焼について知りたい。
- 回答
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「胡差焼」は、「壺屋焼(壺屋で作られた焼物)」のような大きなカテゴリー名ではなく、沖縄市諸見里にある窯元の名称だと思われる。
「胡差、コザ」という地名は、戦後に作られたものである(資料①②)。旧コザ地区にある窯元は、3ヵ所(昭和58年時点)で、それぞれ「山内焼」、「読谷壺屋焼」、「胡差焼窯元」である(資料③)。
「胡差焼窯元」は昭和27年の創業(資料④)で、電話帳では名称が変遷している(資料⑤~⑦)。
「オリエンタル商会」→「オリエンタル商会陶器工場」→「胡差焼窯元」
「胡差焼」では、ガス窯を使用し、また工程の自動化によって陶器の大量生産を可能にした(資料⑧)。そのため、昭和51年の時点では陶器の県外輸出の80パーセントを占め、年度売上げ三億五千万円を目指していた(資料⑧)。また昭和58年では、製品の70%が陶器で、その内60%を本土へ出荷、観光客の間でも大変人気があったようだ(資料④)。
①
『沖縄市史 第4巻 自然・地理・考古編』(沖縄市総務部総務課∥編、沖縄市役所、2008.3)
p212 「米軍上陸後、いち早く設置された収容所は”コザ”の名称が冠せられており、コザ市の語源となった。1944年AMS(Army map service)作成2万5千分の1図には、古謝と胡屋は”koza”と表記され二つのコザ地名が存在した。古謝は大正10年陸地測量部発行の2万5千分の1図にも「コザ」のルビがふられている。また、米海軍の1944年作成の”Civil Handbook; Ryukyu (Loochoo) Islands”には胡屋の地名として”Goya (Koya)”と記されており、米軍が”koya”の地名を認知していたことがわかる。地図作成の段階で、筆記体の小文字”y”と”z”を見誤り”koza”と記した可能性がたいへんに高い。いずれにせよ、戦後の地名「コザ」は胡屋に由来していると言ってよい。」の記述がある。
②
『コザ市史』(コザ市∥編、コザ市役所、1974.2)
p465-466 「三 コザの地名」の項目で、p465 「コザ市の「コザ」なる名の起こりが「胡屋部落の胡屋のなまりであろうという音韻的な方面から説く人もあるが、そうではないだろうと思う。…米軍が「コザ」と称したのは、時間的に地域的に、胡屋十字路ではなくてキャンプコザ地域であったことは事実であるからである。コザキャンプというのは、嘉間良を中心にして、室川、越来、安慶田方面の総称であった。その嘉間良を中心とした収容地区をビッグコザとよび、古謝部落をスモールコザとよんでいたということであるが、これはコザの語源が古謝部落名にあることを証明するものであろう。中心街となった地域を大コザとし、もとの古謝部落を小古謝とすることは理の当然である。ついでに「コザ」という地名の起こりを地質がクチャであるためであるともいわれているが、これも前原に対する後原(クシバル)から来たものと考えられる。クシはクサーであるからクザともなまってきたといえる。」の記述がある。
③
『沖縄の陶器に関する調査報告書 昭和58年3月』(沖縄開発庁沖縄総合事務局総務部主任調査官室[編]・刊、1983.3)
p122 県内陶器製造業者名簿(沖縄市)の旧コザ地区について、「山内焼」、「読谷壺屋焼」、「胡差焼窯元」の記述がある。
④
『[沖縄市]商工名鑑 昭和58年版』(沖縄商工会議所[編]・刊、1983.4)
p43 「胡差焼」の項目で、「昭和27年創立以来30余年もの間、沖縄の伝統工芸品である陶器、琉球漆器を製産。現在ではガラス工芸も行なっている。全製品の70%を陶器が占めて居り、その内60%が本土へ出荷、観光客の間でも大変人気がある。代表者 村田良和 沖縄市諸見里720」の記述がある。
⑤
『電話番号簿 1960年8月1日現在』(琉球電信電話公社[編]・刊、1960.8表紙)
p134 陶器の項目で、「オリエンタル商会 諸見里156」の記述がある。
⑥
『電話番号簿 1969年度版』(琉球電信電話公社[編]・刊、1968.7)
p732 陶器の項目で、「オリエンタル商会 諸見里156」「オリエンタル陶器工場 久保田原720」の記述がある。
⑦
『沖縄県50音別電話帳 昭和57年2月28日現在』(日本電信電話公社沖縄電信電話管理局∥編、沖縄電信電話管理局、1982.6)
p693 陶器の項目で、「胡差焼窯元 諸見里720」の記述がある。
⑧
『月刊グラフおきなわ 創刊号』(沖縄アカデミー∥編・刊、[1976])
p42-45 「沖縄工芸産業の新しい道 胡差焼のフォーディズム」の特集がある。
p43 「「伝統工芸」というより「伝統工芸産業」、「文化」というより「経済」の範疇にふくめたほうがよい。「胡差焼」の窯元を訪れた第一印象は、むかしながらの「窯元」というイメージからは大きくかけはなれた、近代的な「工場」であった。いうなれば沖縄陶業界におけるフォード・システムの出現である。」の記述がある。
p45 「胡差焼では、ブタンの「ガス窯」が焼成の主役である。」の記述がある。
p45 「胡差焼窯元(オリエンタル商会)代表村田良和氏…陶器の県外輸出の80パーセントを占め、今年度売上げ三億五千万円をめざしている胡差焼。沖縄陶業界だけでなく、沖縄伝統工芸産業における新しい道をすすんでいる。」の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄市史 第4巻 自然・地理・考古編 地理・考古編 沖縄市総務部総務課∥編 沖縄市役所 2008.3 K22.03/O52/4 p212
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2 コザ市史 コザ市∥編 コザ市役所 1974.2 K22.031/KO98 p465-466 -
3 沖縄の陶器に関する調査報告書 昭和58年3月 沖縄開発庁沖縄総合事務局総務部主任調査官室∥[編] 沖縄開発庁沖縄総合事務局総務部主任調査官室 1983.3 K75/O52 p122 -
4 [沖縄市]商工名鑑 昭和58年版 沖縄商工会議所∥[編] 沖縄商工会議所 1983.4 K67/O52 p43 -
5 電話番号簿 1960年8月1日現在 琉球電信電話公社∥[編] 琉球電信電話公社 1960.8表紙 K69/R98 p134 -
6 電話番号簿 1969年度版 琉球電信電話公社∥[編] 琉球電信電話公社 1968.7 K69/R98 p732 -
7 沖縄県50音別電話帳 昭和57年2月28日現在 日本電信電話公社沖縄電信電話管理局∥編 沖縄電信電話管理局 1982.6 K69/N77 p693 -
8 月刊グラフおきなわ 創刊号 沖縄アカデミー∥編 沖縄アカデミー [1976] K05/G34/1 p42-45
- キーワード
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- 胡差焼
- コザ焼
- コザ
- 沖縄市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000242923