レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年06月03日
- 登録日時
- 2018/09/20 00:30
- 更新日時
- 2018/11/27 00:30
- 管理番号
- 2D18005215
- 質問
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解決
「お好み焼き」という食べ物は、いつ頃からそのように呼ばれるようになったのか。
- 回答
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「お好み焼き」という名称の起源については、諸説あるようです。
関連記述のある資料を以下にご紹介します。
『明治大正史 4 世相篇』(朝日新聞社/編 朝日新聞社, 1931.1)
p.72-77「第二章 食物の個人自由 八 外で飯食ふ事」の項のp.72に、「子供を相手の擔(にな)い商ひの方でも飴や新粉の細工物は通りこして、御好み焼きなどゝいふ一品料理の眞似事が、現に東京だけでも數十人の専門家を生活させて居る。」との記述があります。
『ふるさと日本の味 8 大阪・神戸味どころ』(集英社, 1983.1)
作家・田辺聖子氏と藤本義一氏との対談において、田辺氏による発言として以下の記述があります。
p.17-23「対談(大阪、つる家にて)くいだおれ礼賛」のp.22に、「お好み焼きはかなり新しいけどね。昭和十六、七年ぐらいからと違いますか。その前は洋食焼きばっかりで、一軒の店になったのはめずらしかった。」
『コムギ粉の食文化史』(岡田 哲/著 朝倉書店, 1993.4)
p.129-137「5.平焼きの食文化」のp.134に「お好み焼きの事始めは明らかではないが、昭和6~7年頃に、どんどん焼きの調理形態から東京の花柳界で創始されたという説がある。」との記述があります。
『大阪学 続』(大谷 晃一/著 経営書院, 1994.11)
p.33-35「お好み焼きの歴史を体験した」の項に、筆者の体験として、昭和8年頃お好み焼きは「洋食焼き」として提供されていたこと、昭和14年には「お好み焼き」と名を変え、具の卵・エビ・イカ・牛肉やキャベツ・山芋などを、あらかじめ混ぜておき、焼いて食べるようになっており、洋食焼きより分厚くなっていたとの記述があります。
p.39-41「お好み焼きの名の由来」の項に、「洋食焼きがお好み焼きに変容した」時期について、「特定は難しいが、昭和一けた代であるのは間違いない。」との記述があります。
『神戸とお好み焼き : まちづくりと比較都市論の視点から』(三宅 正弘/著 神戸新聞総合出版センター, 2002.12)に以下の記述があります。
p.33-36「第2章 神戸のお好み焼き・にくてんとは? お好み焼きの前身「にくてん」と「洋食焼き」」の項p.33「「お好み焼き」という名称は意外と新しい。少なくとも神戸・大阪・京都ではそうである。」
p.49-52「第2章 神戸のお好み焼き・にくてんとは? 「にくてん」の復活」の項p.51-52「戦中から戦後にかけて「お好み焼き」という名称が定着」
p.54「第3章 お好み焼きはなぜ混ぜるようになったのか 昭和一○年代にお好み焼き誕生」の項p.54「大阪の洋食焼きは、昭和初期にはお好み焼きとして定着していくようになる。」
『たべもの起源事典』(岡田 哲/編 東京堂出版, 2003.1)
p.82-83「おこのみやき(御好み焼き)」の項目に、「1923年(大正12)の関東大震災後から、お好み焼きが流行し始める。」との記述があります。
『広島お好み焼物語 : ふしぎな食べものが生まれたのはなぜ?』(那須 正幹/著 大川 陽子/イラスト PHP研究所, 2004.7)
p.47-52「第4章 お好み焼という名前」の章のp.49に、「大阪でも一九四〇年ごろからお座敷風の店が次々と登場し「お好み焼き」という名称で呼ばれはじめました。」との記述があります。
『民俗小事典 食』(新谷 尚紀/編 関沢 まゆみ/編 吉川弘文館, 2013.8)
p.326-327「お好み焼き」の項目に、「アジア太平洋戦争後、特に大阪や広島を舞台として、余りものや半端な食材を利用して美味しく食せるお好み焼きが誕生した。」との記述があります。
商用データベース「JapanKnowledge 日本大百科全書(ニッポニカ)」 (2018.09.10確認)
「お好み焼き」の項目に以下の記述があります。
「どんどん焼きは、屋台売りがどんどんと太鼓をたたいて触れ歩いたのでこの名がある。屋台売りでは、主人が子供たちの注文を聞いて好みの具を入れて焼き上げた。今日のお好み焼きに近いものを露店で商売したのである。文字焼きは、小麦粉の溶き物で鉄板に文字や絵を描いて焼いたからで、このほうは裏町の駄菓子屋が定着した形で商売した。文字焼きの店は冬の子供の社交場でもあった。しかし定着した文字焼き屋も、「どんどん焼き」の店、お好み焼き屋とよばれていた。文字焼きが大人のお好み焼きとなり、大流行をみたのは第二次世界大戦以後で、具のほうも肉や魚などが加わり、豪華になった。」
商用データベース「JapanKnowledge 日本国語大辞典」 (2018.09.10確認)
「おこのみ-やき【御好焼】」の項目に以下の記述があります。
「水でといた小麦粉に、サクラエビ、イカ、牛肉、野菜などの具をまぜ、鉄板で焼きながら食べる料理。また、それを商う店。*彼女とゴミ箱〔1931〕〈一瀬直行〉三社祭「その下にはアイスクリーム屋、オコノミ焼(ヤキ)、万燈売りが出てゐる」*古川ロッパ日記‐昭和一四年〔1939〕一〇月一〇日「昨夜行ったお好み焼へ堀井夫妻と竹川・女房とで行く。〈略〉五人で三円五十銭」
- 回答プロセス
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1.国立国会図書館レファレンス協同データベース「小麦粉・お好み焼き・ホットケーキの歴史、ルーツを知りたい。外国の方とお好み焼きを焼くときの参考にしたい。」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000059364)(2018.9.10確認)掲載の参考資料を再調査し、資料1、2、3が見つかる。
2.資料1の参考文献として資料4を確認する。
3.資料2の参考文献として資料5を確認する。
4.国立国会図書館レファレンス協同データベース「大阪のお好み焼きの歴史について知りたい。」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000136661)(2018.9.10確認)掲載の参考資料を再調査し、資料6が見つかる。
5.当館調査研究コーナーで分類“383.8”の書架をブラウジングし、資料7、8が見つかる。
6.商用データベース「JapanKnowledge」(2018.09.10確認)で“お好み焼き”を検索し、『日本大百科全書(ニッポニカ)』『日本国語大辞典』の項目を確認する。(資料9、10)
7.商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」「毎索」「ヨミダス歴史館」で“お好み焼き”を検索したが、事前調査事項にある新聞記事(1927年)よりも古い記事はなし。
8.「青空文庫」https://www.aozora.gr.jp/ (2018.09.18確認)で“お好み焼き”を検索したが、事前調査事項にある新聞記事(1927年)よりも古い用例はなし。
- 事前調査事項
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「お好み焼きを食べて幼い姉妹が急死す たった3時間の中の悲惨時」『毎日新聞』 1927年3月19日 東京朝刊 7ページ
この記事に「お好み焼き」という名称が出ていることから、1927年頃にはすでに世間で認知されていたのではないかと思われる。
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0010420303> 神戸とお好み焼き -まちづくりと比較都市論の視点から-(のじぎく文庫) 三宅 正弘/著 神戸新聞総合出版センター 2002.12 9784343002051 (資料1)
- 当館書誌ID <0010778351> 広島お好み焼物語 -ふしぎな食べものが生まれたのはなぜ?-(PHPノンフィクション) 那須 正幹/著 PHP研究所 2004.7 9784569684871 (資料2)
- 当館書誌ID <0000312582> コムギ粉の食文化史 岡田 哲/著 朝倉書店 1993.4 9784254430530 (資料3)
- 当館書誌ID <0012311410> ふるさと日本の味 8 大阪・神戸味どころ 集英社 1983.1 (資料4)
- 当館書誌ID <0080290241> 明治大正史 4 世相篇 朝日新聞社/編 朝日新聞社 1931.1 (資料5)
- 当館書誌ID <0000422840> 大阪学 続 大谷 晃一/著 経営書院 1994.11 9784879135100 (資料6)
- 当館書誌ID <0010463136> たべもの起源事典 岡田 哲/編 東京堂出版 2003.1 9784490106169 (資料7)
- 当館書誌ID <0012777064> 民俗小事典 食 新谷 尚紀/編 吉川弘文館 2013.8 978-4-642-08087-3 (資料8)
- 商用データベース「JapanKnowledge」 (2018.09.10確認)(資料9、10)
- キーワード
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- お好み焼き
- 洋食焼き
- どんどん焼き
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000242701