レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年08月24日
- 登録日時
- 2018/06/17 15:27
- 更新日時
- 2018/10/17 13:16
- 管理番号
- 埼久-2018-020
- 質問
-
未解決
太平洋戦争中の特攻隊の第一陣である「敷島隊」は5人・5機の編成なのだが、5人の名前と彼らが乗っていた飛行機の名前が知りたい。
- 回答
-
敷島隊の5人の名前については下記の資料に記述があったが、飛行機の名前について記述のある資料は見つからなかった。備考欄に追記あり。(2018/10/08)(2018/10/17)
『昭和ニュース事典 8 昭和17-昭和20年』(昭和ニュース事典編纂委員会[ほか]編集 毎日コミュニケーションズ 1994)
p459 「敷島隊五人が二階級特進」の記事あり。敷島隊5人は、海軍大尉・関幸男、海軍一等飛行兵曹・中野磐英雄、海軍一等飛行兵曹・谷暢夫、海軍飛行兵長・永峰肇、海軍上等飛行兵・大黒繁男との記述あり。
『ジュニア版太平洋戦史 6 最後の特別攻撃隊』(秋永芳郎[ほか]共著 集英社 1974)
p75 敷島隊の出撃の様子あり。
『敷島隊の五人 海軍大尉関行男の生涯』(森史朗著 光人社 1986)
p1 敷島隊5人の氏名あり。
- 回答プロセス
-
1 参考資料を確認する。
『昭和ニュース事典 8 昭和17-昭和20年』(回答資料)
『陸海軍年表 戦史叢書 102』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1980)
p260 「昭和19年10月20日「海軍、神風特別攻撃隊をルソン島マバラカット基地で編成。」」とあり。
p261 「昭和19年10月25日「海軍神風特別攻撃隊(敷島隊)出動(戦果大)。」」とあり。
2 自館目録を〈敷島隊〉〈特攻隊〉〈特別攻撃隊〉〈神風〉で検索する。
『ジュニア版太平洋戦史 6 最後の特別攻撃隊』(回答資料)
『太平洋戦史 4 神風特攻隊の出撃』(偕成社 1979)
p171、177 敷島隊についての記述はあるが、隊員名及び飛行機の名前についての記述はなし。
『神風特攻隊 壮烈な体あたり作戦 写真で見る太平洋戦争 6』(安延多計夫著 秋田書店 1979)
p50 特攻隊の編成命令があるが、隊員名などについての記述はなし。
『敷島隊の五人 海軍大尉関行男の生涯』(回答資料)
3 NDC分類〈538〉〈916〉の棚を確認する。
『日本軍用機事典 1910-1945 海軍篇』(野原茂著 イカロス出版 2005)
『人間爆弾と呼ばれて 証言・桜花特攻』(文藝春秋編 文藝春秋 2005)
『日本軍用機航空戦全史 5 大いなる零戦の栄光と苦闘』(秋本実著 グリーンアロー出版社 1995)
該当する記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『昭和ニュース事典 8 昭和17-昭和20年』(昭和ニュース事典編纂委員会[ほか]編集 毎日コミュニケーションズ 1994) , ISBN 4-89563-253-9
- 『ジュニア版太平洋戦史 6 最後の特別攻撃隊』(秋永芳郎[ほか]共著 集英社 1974)
- 『敷島隊の五人 海軍大尉関行男の生涯』(森史朗著 光人社 1986) , ISBN 4-7698-0330-3
- 『写真太平洋戦争 第5巻』(雑誌「丸」編集部編 光人社 1989) , ISBN 4-7698-0417-2
- キーワード
-
- 太平洋戦争
- 特別攻撃隊
- 敷島隊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
追加調査
1 太平洋戦争に関する資料を調査する。
『写真太平洋戦争 第5巻』(雑誌「丸」編集部編 光人社 1989)
p4-5 敷島隊関行男大尉の搭乗機の写真あり。
「滑走を開始した敷島隊の零戦-手前は胴体下に250キロ爆弾を懸吊した1番機関行男大尉の搭乗機二一型02-288号である」とあり。
国立国会図書館レファレンス協同データベース事業サポーター様よりコメントをいただく(2018/10/12)。以下、web情報の本文。
『特別攻撃隊の記録 Kamikaze 海軍編』(押尾一彦著 光人社 2005)
第一章フィリピン方面 第一神風特別攻撃隊 敷島隊 大和隊 朝日隊 山桜隊
p.13 に「(前略)爆装戦闘機(零戦に二五番250kg爆弾を搭載したもの)とともに(後略)」とあります。さらにp.17 に敷島隊の出撃時の写真があり、解説文は「戦爆」だけですが写っている機種はすべて零戦です。
また巻末の海軍神風特別攻撃隊 出撃一覧 p157-243 の p158 に敷島隊の項があり、搭乗機は5人全員「機種零戦」とあります。
さらに5人の所属する第201航空隊戦闘第301、305、311飛行隊は戦闘機隊で、その隊員であることからも零戦に搭乗したことは間違いないと思います。
搭乗機の「名前」の問題ですが、日本海軍の航空機は命名規約があり、1942年以後の採用は「雷電」や「月光」などの名前がついています。ただしそれ以前に制式採用された機種は皇紀年号下2桁を基礎としています。したがいまして皇紀2600年(1940年)に制式化した「零戦」、零式艦上戦闘機はそれが名前になります。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000237320