レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/04/18
- 登録日時
- 2018/05/02 00:30
- 更新日時
- 2018/05/16 15:31
- 管理番号
- 926074
- 質問
-
解決
レファレンスのご協力をお願いいたします。
以下、利用者から頂いた内容です。
摂津市黄城主能勢頼次の三女・福(1604~1670)は、1641年、家光の長男竹千代(4代将軍家綱)が生後4か月で病気になったとき、養育係として大奥に仕えた。そのとき、春日局より「近江局」の名を賜ったという。「実紀」に見られる贈り物事例には「近江局」が受けた銀の記録が頻繁にあり、勤め始めから「近江」と呼ばれたようだ。近江局没後の1672年には、おいで娘婿の本家を継いだ能勢頼宗に、近江栗太郡263石・近江野洲郡236石が飛び地として加増されている。しかし、それ以前に福は近江と関係があったのではないかと考えられる。能勢とどのようなつながりがあって、「近江」の名をいただいたのだろう? ・父頼次は豊臣秀長の大和郡山城で小堀親子とともに仕えていた。福と共に召された乳母の三沢局は小堀遠州の側室である。・福の夫、能勢長右衛門(余野広安・能勢頼清・能勢頼資)は、黒田長政から500石の禄を受けていた。近江は黒田の里である。
「近江」の名の由来および、福の夫が受けた500石は福の娘婿と同様に近江栗太郡・野洲郡のものであるかについて知りたいそうです。
当館資料では近江局に関するものが乏しく、手掛かりを見つけられませんでした。
貴館資料『近江局についての一考察』飯高和夫著(資料番号00120359133)に該当する記載はありませんでしょうか。
- 回答
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以下の資料を通覧しましたが、お探しの内容は見つかりませんでした。
なお、当館のレファレンスでは、本文を精読しての調査はできませんのでご了承ください。詳細については、利用者ご自身でご確認ください。
当館請求記号 GK115-G31
タイトル 近江局についての一考察
責任表示 飯高和夫 著
出版事項 東金 : 飯高和夫, 1998.6
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『論集幕藩体制史 第1期<支配体制と外交・貿易> 第5巻 旗本と知行制』「旗本家臣の性格」(森泰博)藤野保編 雄山閣出版
『国史大系 徳川実紀』黒板勝美編 吉川弘文館
東金市 生涯学習情報誌「ときめき」vol.72、vol.76
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- NDL_サービス企画課(レファレンス承認者)
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000235312