レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/11/16
- 登録日時
- 2018/01/15 00:30
- 更新日時
- 2018/01/15 00:30
- 管理番号
- 6001025962
- 質問
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解決
古代日本の地域区分に関して、「東国」の定義が複数あると聞いた。具体的な内容を知りたい。
- 回答
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関連する記述が載っている資料は多数ありますので、その一部をご紹介します。
<辞書・事典>
『国史大辞典 10 と-にそ』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1989.9)
「とうごく 東国」(p.85)の項目に、「東山道および東海道諸国(時には北陸道も含む)の地域」とありますが、「その範囲は時代や用法によって広狭がある」と書かれています。
古代の東国については、「畿内を中心として東海・東山・北陸三道の東国と西国を分ける区分と、坂東八ヵ国=東国とする区分との二種類があった」としたうえで、具体的な範囲が3つ掲載されていますので、一部引用してご紹介します。
(一)「東山道の陸奥・出羽を除外し山東も坂東に含めて坂東八ヵ国(上野・下野・相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸)という狭義の東国(中略)陸奥・出羽を含める場合もある」
(二)「伊勢国の鈴鹿関、美濃国不破関以東、この関の停廃後には近江国の逢坂(おうさか)関以東を「関東」と呼称し、この東海道・東山道諸国を東国と称する用例も多くみられる」
(三)「東海道遠江国、東山道信濃国以東で、(一)と(二)の中間的な範囲」
『日本古代史事典』(阿部猛/編集 朝倉書店 2005.9)
「東国の概念」(p.164)という項目に、「畿内(うちつくに)を起点として東方の地域を指す」とありますが、「その領域は時代・史料によって異なり」と書かれています。広義・狭義の範囲が掲載されていますので、一部引用してご紹介します。
広義:「東海・東山道諸国に北陸道の一部を加えた地域」
狭義:「坂東八か国(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野)」
<図書>
『『東アジアから見た古代の東国』講演集:報告講演・シンポジウム』(白石太一郎/[ほか]講演 上毛新聞社 1999.3)「東国文化の再発見」(p.69-80)の中に、東国の範囲に関する次のような記述があります。
「『日本書紀』を中心にわが国の古代の文献を見てくると、「東国」の観念が時代とともに推移していった状況が、次の四つくらいに分類できると思います(中略)1伊勢・美濃以東、2信濃・遠江以東、3相模・武蔵・上野・下野以東、4関東から東北の一部」(p.75)
上記の種類に分かれた理由については、倭王権の勢力が西から東へ波及していくプロセスと関係しているのではないか、という筆者の考えが述べられています。
『岩波講座日本歴史 4 古代』(朝尾直弘/[ほか]編集 岩波書店 1976)
「古代末期の東国と西国」(p.231-269)の中で、p.235に、東国の範囲が次の三種になると思われるとの記述があります。
・「関東(三関以東)と同義の東国」※三関=伊勢鈴鹿、美濃不破、越前愛発
・「坂東と同義の東国」
・「東海道の遠江以東、東山道の信濃以東の諸国」
さらに、p.235-236では、上記三種について、「関東と同義の東国」が古い用例であるのに対し、「坂東と同義の東国」は新しい用例であること、また、「東海道の遠江以東、東山道の信濃以東」が最も一般的な東国の範囲を示していたと考えられること等が述べられています。
『日本古代国家の研究』(井上光貞/著 岩波書店 1982)
「大化改新と東国」(p.351-381)の中で、p.363に、筆者の考えに基づいて東国を8つに分けたときの地域について、次のように書かれています。
「(一)毛野(上野・下野)、(二)常陸、(三)総(上総・下総・安房)(四)信濃の四つと、他に相模・武蔵・甲斐・駿河(伊豆を含む)・遠江・三河からなる四国」
[事例作成日:2017年11月17日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
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- 国史大辞典 10 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館 1989.9 (85)
- 日本古代史事典 阿部/猛∥編集 朝倉書店 2005.9 (164)
- 『東アジアから見た古代の東国』講演集 白石/太一郎∥[ほか]講演 上毛新聞社 1999.3 (75)
- 岩波講座日本歴史 4 朝尾/直弘∥[ほか]編集 岩波書店 1976 (235)
- 日本古代国家の研究 井上/光貞∥著 岩波書店 1982 (363)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000228325