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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000227243
提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)管理番号
(Control number)
M17060812387216
事例作成日
(Creation date)
2017/6/08登録日時
(Registration date)
2017年12月24日 00時30分更新日時
(Last update)
2018年03月25日 00時30分
質問
(Question)
「国民英学会」とはどのような団体だったのかについて記述している資料が見たい。最盛期の生徒数がどのくらいだったのかも知りたい。
回答
(Answer)
「国民英学会」に関する記述は以下の資料の中にある。
①『英語教育史資料 第5巻』によれば、国民英学会は「明治・大正から昭和にかけてもっとも有名であった私立英語学校の一つ、国民英学会は1888(明治21)年2月磯辺弥一郎と米人F.W.Eastlake(1858-1905)が協同して東京神田錦町1丁目に創設した。」とある。②『各種学校入学案内』には、「本校は諸官公立学校の入学試験に応ずる者及師範学校、中学校、高等女学校等の英語科教員試験検定応募者の為に必要なる英語の学力を養成するを以て目的とす。入学資格は高等小学校卒業生、若しくは同等以上の学力ある者にして、別段入学試験を行わずして、随意各自の学力に適応せる学科を選べしむるものとす。」とあり、その学習内容の目的、および入学資格について記載されている。また、③『国民英学会創立第三十周年回想録』において、創設者の一人である磯辺弥一郎による校名の由来に関する記述がある。④『狂風の記者』においてもその部分が引用されている。このほか、国民英学会に関する記述は、情報源⑤~⑪にも見ることができる。
生徒数については、①『英語教育史資料 第5巻』によると「1902年には生徒数が1,430人を数え、大いに繁盛した」という記述がみられる。このころの生徒数については、⑫『東京府統計 明治34年』によると1535名(明治35年3月31日現在)となっている。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
教育課程.学習指導.教科別教育  (375 9版)
参考資料
(Reference materials)
①大村喜吉ほか編『英語教育史資料 第5巻』東京法令出版,1980,479,17p.参照はp.92-93,p.13
②安蒜商店出版部編『各種学校入学案内』安蒜商店出版部,1914
③磯辺弥一郎『国民英学会創立三十周年回想録』 国民英学会,1918,42p.
④前山隆『風狂の記者』御茶の水書房,2002,448p. 参照はp.65-73,p.77-78
⑤東京都編『東京の各種学校』東京都,1966,237p. 参照はp.109-110,p.145-146,p.126,p.118-123,p.125
⑥日本英学史学会編『英語事始』エンサイクロペディアブリタニカ(ジャパン)インコーポレーテッド,1976,315p. 参照はp.237-239
⑦日本の英学100年編集部編『日本の英学100年 明治編』研究社出版,1968,514,12p.参照はp.54-57,p.424-425,p.506-507
⑧惣郷正明『日本英学のあけぼの』創拓社,1990,291p. 参照はp.280
⑨『英語青年 第33集』英語青年復刻版刊行会,1978,435,431p. 参照はp.241-243
⑩『英語青年 第39集』英語青年復刻版刊行会,1978,431,415p. 参照はp.61
⑪『文章世界』Vol.3No.14 参照はp.3
⑫東京府編『東京府統計 明治34年』東京府,1903 参照はp.139
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2017060812340887216
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢
登録番号
(Registration number)
1000227243解決/未解決
(Resolved / Unresolved)