レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年05月09日
- 登録日時
- 2017/12/12 16:45
- 更新日時
- 2017/12/12 17:09
- 管理番号
- 由本岩図ー20100519-1
- 質問
-
未解決
港合戦について知りたい。
1.天正16年~17年ごろ(1588~1589)の第三次湊合戦で安東実季に助力した赤尾津治部少輔の名前
2.湊合戦で安東氏・由利十二頭と戸沢氏・小野寺氏の仙北連合軍が戦った場所
- 回答
-
『本荘市史 通史編Ⅰ』P471~473に「湊合戦と由利衆」について記載があるが、赤尾津氏の名前・合戦の場所は不明。
該当ページの内容でよいということでコピーを渡した。なお、後日下記の内容を調べたが、確証には至らず。
1.『赤尾津系大井家伝承記』P71に「~後年に至り赤穂津左衛門尉光重(後 治部少輔と改む)」と記載あり。この人物が湊合戦に参戦した赤尾津治部少輔と断言できないが、非常に近い存在と思われる。
2.『本荘の歴史 普及版』P51に湊合戦と由利衆についての記述あり。「脇本城を棄てて檜山城(能代市)に入った実季は、一五〇~一六〇日にも及ぶ苦しい籠城の末、勝利を得ます(湊合戦)。この苦境で大いに活躍したのが赤宇曾治部少輔、その弟、羽川新助、仁賀保氏らの由利衆でした。」とあり、能代市のホームページ内「能代観光百景・史跡」にも「立山(大森館跡)檜山城跡の南に位置し、天正17(1589)年に一族の湊安東道季との間で争われた「湊合戦」の際に檜山方の前進基地になったと考えられる砦跡です。」とあるので、檜山城とその周辺において合戦があったと思われる。
- 回答プロセス
-
以下の資料を探すも確証できる記載はなかった。
『本荘市史 通史編Ⅰ』、
『本荘市史 史料編Ⅰ上』P470~474湊合戦・安東実季について、
『本荘市史 史料編Ⅰ下』P160、162湊・檜山両家合戦覚書、
『亀田郷土史上』P13~24由利十二頭の仙北・横手の戦い、
『岩城町史』P77~78赤宇津について、P79~80湊合戦について
『本荘の歴史 普及版』P40~41、P49~52
『赤尾津系大井家伝承記』P71
- 事前調査事項
- NDC
-
- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
-
- 『本荘市史 通史編Ⅰ』1987 本荘市編集 本荘市
- 『本荘市史 史料編Ⅰ上』1984 本荘市編集 本荘市
- 『本荘市史 史料編Ⅰ下』1985 本荘市編集 本荘市
- 『亀田郷土史 上』1968 岩城町郷土史編集委員会
- 『岩城町史』1996 岩城町町史編集委員会編集 岩城町教育委員会
- 『本荘の歴史 普及版』2003 本荘市
- 『赤尾津系大井家伝承記』1986 大井学治・大井俊郎著
- キーワード
-
- 湊合戦
- 赤尾津
- 赤宇津
- 安東実季
- 由利十二頭
- 戸沢
- 小野寺
- 檜山
- 本荘市史
- 安東道季
- 赤尾津左衛門尉光重
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226286