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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000225924
提供館
(Library)
国士舘大学図書館・情報メディアセンター (3310052)管理番号
(Control number)
国士29001
事例作成日
(Creation date)
2017年12月06日登録日時
(Registration date)
2017年12月06日 11時00分更新日時
(Last update)
2017年12月06日 16時53分
質問
(Question)
 信長、秀吉、家康が詠んだというほととぎすの句の出典を確認したい。「みみぶくろ」とテレビ番組で放送したらしい。
信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の三句のこと。
回答
(Answer)
 甲子夜話は1821(文政4)年から1841(天保12)年までに書かれています。耳嚢は1784(天明4)年頃から1814(文化11)年に書かれ、巻八は文化5(1805)年夏までに書かれたとされます(日本庶民生活史料集成16)。
 したがって現在のところ文章として現れる最とも古いものは「耳嚢」になります。
回答プロセス
(Answering process)
ネット検索にて放送された番組を調査。
フジテレビ「さまぁ~ずの神ギ問」2017.11.11 19時~(一部地域を除く)で「誰しもが聞いたことがある信長・秀吉・家康のホトトギスの句、誰が考えた?」というテーマで放送されていたことがわかった。
同番組公式 Twitter にて確認したが、タイトルのみで内容は書かれておらず不明。
https://tweetcs.com/kamigimon/
 ただし視聴者と思われる複数の人のブログ等に今までは「甲子夜話」と言われていたが「耳嚢」の方が最初であると放送されたと記されていた。

 そこでまず国史大辞典で「ホトトギス」「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の各項を引いたが記載なし。さらに川柳の辞典を調査。

大曲駒村編.川柳大辞典 下 1962 高橋書店
「ほととぎす」の項④ p.573
 「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三将に思ひ思ひの句に詠まれたと云う時鳥。信長は「鳴かずんば殺してしまへホトトギス」と詠み、秀吉は「鳴かずんば鳴かせて見せうホトトギス」と詠み家康は「鳴かずんば鳴くまで待たうホトトギス」と詠んだと傳へられる。」
 出典等の記載なし。仮名遣いの差異大きいが、現代に伝わるものと同じ表現している。
 
浜田義一郎編.江戸川柳辞典 1968 東京堂出版
「ほととぎす」の項 p.426
「三将で思ひ思ひの時鳥」の鑑賞の項で「信長、秀吉、家康の三将の性格気質を、時鳥の句であらわした「鳴かぬなら殺してしまへホトトギス」「鳴かぬなら鳴かせてみせうホトトギス」「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」を題材としたもの」とあるだけで出典等の記載なし。やはり仮名遣いに若干の差異があるが、ほぼ川柳大辞典と同じ表現となっている。

粕谷宏紀編.新編川柳大辞典 1995 東京堂出版
「ほととぎす」の項⑤ p.731
「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの三将に思い思いの句に詠まれた時鳥。信長は「鳴かずんば殺してしまへホトトギス」、秀吉は「鳴かずんば鳴かせて見せうホトトギス」、家康は「鳴かずんば鳴くまで待たうホトトギス」と詠んだと伝られる。勿論この逸話は虚説である。」
 ぼぼ大曲編「川柳大辞典」の表現を写したような酷似した表記であり、句の仮名遣い表記も変わらない。同じく句の出典等の記載なし。

 さらに原典をあたる。


耳嚢 八之巻 (日本庶民生活史料集成16 奇談・紀聞 1970 三一書房)p541-542
(底本・日本芸林叢書所収本)
連歌其心自然に顯はるゝ事
(前略)いまだ郭公を聞ずとの物語出けるに、信長、
鳴ずんば殺して仕まへ時鳥
と、ありしに秀吉、
 啼かずとも啼せて聞ふ時鳥
と、有りしに、
 なかぬなら啼時聞ふ時鳥
とあそばされしは神君の由。(後略)

耳袋 八の巻 (東洋文庫208 耳袋2 1972 平凡社)p198-199
(底本・日本庶民生活史料集成16)
連歌その心自然に顕はるゝ事
(前略)いまだ郭公を聞かずとの物語いでけるに、信長、
 鳴ずんば殺してしまえ時鳥
と、ありしに秀吉、
 なかずともなかせて聞こう時鳥
と、有りしに、
 なかぬならなく時聞こう時鳥
と遊はされしは神君の由。(後略)

耳嚢 八之巻 (岩波文庫 耳嚢 下 1991 岩波書店)p134-135
(底本・カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館旧三井文庫本所蔵本)
連歌其心自然に顕はるゝ事 
 古物語にあるや、また人の作る事や知らざれど、信長、秀吉、乍恐神君御参会之時、卯月の頃、未だ郭公を不聞との物語出けるに、信長、
 鳴ずんば殺して仕まへ郭公
と、ありしに、秀吉、
 鳴かずとも啼せて聞ふほとゝぎす
と、有りしに、
 鳴ぬなら鳴時きかふ時鳥
と遊はされしは神詠のよし。自然と其御徳化の温純なる、また残忍・広量なる所、其自然を顕はしたるか。(後略)

甲子夜話 三十五巻八 (東洋文庫333 甲子夜話四 1978 平凡社)p.57-58
夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く協へりとなん。
 郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、
なかぬなら殺してしまへ時鳥  織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤
なかぬなら鳴くまで待よ郭公  大権現様
(後略)

 日本庶民生活史料集成16の底本は転写本でした。「耳嚢」自体公刊されたものではなく、著者の根岸鎮衛の自筆本は見つかっていません。残されたものは写本、転写本でありいずれも複数存在し、写されることが原因と思われる文章表現、漢字表記の振れが発生じています。
 また岩波文庫の「耳嚢」該当の項に註があり、「甲子夜話」「百草露」にも三句が載っているとしています。

「三将で思ひ思ひの時鳥」の句は誹風柳多留53篇に掲載され、これが編まれたのが1808(文化8)年で、耳嚢に書かれた頃のやや後になります。
甲子夜話の著者松浦静山が、耳嚢を読んだという記録は見つかりませんでした。誹風柳多留の川柳が作られた世相などから推定すると、その三句は巷間にもそれなりに流布していたと思われます。松浦静山が参照していなくても、それを別途耳にしていた可能性はあると思われます。

「耳嚢」は「古物語」の引用として、三句の作者はそれぞれ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康としていますが、そうではないことが有力の様です。新編川柳大辞典では三将が詠んだとするのは誤りと指摘していますが、根拠の記載はありません。
 ネット上では松浦静山の作としているものもありますが、それは明らかに間違いです。

参考
百草露 巻九 (日本随筆大成第3期11 1977 吉川弘文館)p.243
(前略)
河内ノ国上ノ太子南林寺の什物後水尾院瓢箪の御自画御賛、
 世の中は兎にも角にもなるひさごかるき身のこそ楽みはあれ
 なかぬならころしてしまへほとゝぎす
鳴ぬならなかして見せふ時鳥
なかぬなら鳴まで待ふほとゝぎす
右信長、秀吉、神君、三将の人となりを深く考へ弁ふべし。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
詩歌  (911 9版)
日本史  (210 9版)
参考資料
(Reference materials)
大曲駒村編.川柳大辞典 下.東京,高橋書店,1962,p927.
浜田義一郎編.江戸川柳辞典.東京,東京堂出版,1968,p635.
粕谷宏紀編.新編川柳大辞典.東京,東京堂出版,1995,p836., ISBN 449010376X
森銑三・鈴木棠三編.奇談・紀聞.(日本庶民生活史料集成16)東京,三一書房,1970,p835.
根岸鎮衛.耳袋2.(東洋文庫208)東京,平凡社,1972,p373.
根岸鎮衛.耳嚢 下.(岩波文庫)東京,岩波書店,1991,p491.
松浦静山.甲子夜話4.(東洋文庫333)東京,平凡社,1978,p364.
含弘堂偶斎ほか.百草露・麓の花・妙々奇談・しりうごと・難後言・鳥おどし・金剛談.(日本随筆大成第3期11)東京,吉川弘文館,1977,p.484.
誹風柳多留全集4.東京,三省堂,1977,p320.
キーワード
(Keywords)
川柳
ホトトギス
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
耳嚢
甲子夜話
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
書誌的事項調査
内容種別
(Type of subject)
言葉
質問者区分
(Category of questioner)
学生
登録番号
(Registration number)
1000225924解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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