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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000219391
提供館
(Library)
京都市図書館 (2210023)管理番号
(Control number)
右中-郷土-102
事例作成日
(Creation date)
2017年05月26日登録日時
(Registration date)
2017年07月28日 00時30分更新日時
(Last update)
2017年09月28日 17時25分
質問
(Question)
昭和初期,京都市右京区双ヶ丘に「双ヶ丘撮影所」があったと聞いたが,本当に存在したのか。
回答
(Answer)
双ヶ丘撮影所は,1928(昭和3)年に京都市右京区の双ヶ丘(ならびがおか)の東側,立石電機(現オムロン)の広大な敷地の北側に実在した日本最初の貸しスタジオです。映画会社マキノ・プロダクションの大道具主任だった河合広始がマキノを退職し,片岡千恵蔵や嵐寛寿郎などのスターの独立プロの拠点として,このスタジオを建設しました。

当時,片岡千恵蔵や嵐寛寿郎などといったスターたちが阪東妻三郎に続き次々と独立し,「日本映画プロダクション連盟」を結成,双ヶ丘撮影所で製作を開始しました。ところが,スターたちの独立を支援していた「日本活動常設館館主連盟映画配給会社」が資金難となり,わずか数ヶ月で崩壊,あえなく挫折することになりました。

双ヶ丘撮影所は,海外での評価も高かった溝口健二監督が当時人気女優だった入江たか子と「滝の白糸」を撮ったところであり,またのちに映画界の天才といわれた山中貞雄が「抱寝の長脇差(だきねのながどす)」で監督デビューした撮影所でもありました。

その後は新興キネマ,松竹が入居しましたが,戦後は立石電機(現オムロン)の工場となりました。
回答プロセス
(Answering process)
●双ヶ丘がある京都市右京区の地域が当時“葛野(かどの)郡”であったことや“花園”,“洛西”と呼ばれることから,それらをキーワードに検索する。
【資料1】p102「洛西地域と映画文化」に双ヶ丘撮影所が貸しスタジオだったことなどについての記載あり。

●右京区花園や双ヶ丘の学校史を確認するも,双ヶ丘撮影所についての記載はなし。

●京都の映画撮影所についての内容であることから,キーワードを“京都”,“映画”,“撮影所”に設定し検索
・・・【資料2】~【資料9】
【資料2】p181~183 双ヶ丘撮影所の項あり(解説・白黒写真・絵地図)
【資料3】p30~34 双ヶ丘撮影所の歴史・場所・地図・面積などの記載あり。
【資料4】p45 1928(昭和3)年に貸しスタジオからスタートしたこの土地の所有者の推移について記載あり。
【資料5】p166~167 「京都撮影所分布図」と「京都撮影所変遷図」に当撮影所の記載あり。
【資料6】p188 1910年代~1930年代頃の京都洛西地域の映画撮影所地図に当撮影所あり。
【資料7】p38  “日本キネマ双ヶ丘撮影所”としての項あり。英語との対訳で解説文と建設中の撮影所の写真あり。
【資料8】p74~76 双ヶ丘撮影所の歴史とその付近の解説あり。
【資料9】p135 年表の1928(昭和3)年に片岡千恵蔵,嵐寛寿郎の独立についての記載あり。

●片岡千恵蔵が当撮影所を使用したことから,【資料10】を確認。
p8~9に1928年(昭和3)年に双ヶ丘撮影所の記載あり。

●双ヶ丘撮影所の創設者である河合広始がマキノ出身者であったことから,【資料11】を確認。
p408の年表に1928(昭和3)年3月,河合がマキノを退社し,御室付近に貸しスタジオを建設する旨の記載はあるが,双ヶ丘撮影所についてはなし。

●国立国会図書館インターネット資料収集保存事業( http://warp.da.ndl.go.jp/ )で“双ヶ丘撮影所”や“日本キネマ撮影所”などをキーワードに検索。
【資料12】に双ヶ丘撮影所についての解説と双ヶ丘撮影所が建設された1928(昭和3)年から2000(平成12)年までの当地の所有者・使用者についての年表あり。

●【資料13】p221 立石電機が,京都市右京区花園土堂町10番地を買収し,工場を建設したことがわかるが,“双ヶ丘撮影所”の記載はなし。

●過去の新聞記事を調べる。オンラインデータベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞),「Gサーチ」(京都新聞)で“双ヶ丘撮影所”や“日本キネマ撮影所”などのキーワードで検索するも有用な情報なし。

●国立国会図書館デジタルコレクション( http://dl.ndl.go.jp/ )で“双ヶ丘撮影所”や“日本キネマ撮影所”で調べるが有用な情報なし。

●双ヶ丘撮影所で製作をしたといわれる溝口健二,山中貞雄の両監督と女優入江たか子についてオンラインデータベース「ジャパンナレッジlib」で検索したが,双ヶ丘撮影所についての記載はなし。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本  (291 9版)
社会学  (361 9版)
映画  (778 9版)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】『京都地域研究 Vol.16 』(立命館大学衣笠研究機構京都地域研究会/編集 立命館大学衣笠研究機構京都地域研究会 2002)p102
【資料2】『京都映画図絵 日本映画は京都から始まった』(鴇 明浩/編,京都キネマ探偵団/編 フィルムアート社 1994)p181~183
【資料3】『洛西地域撮影所跡地めぐり ガイドブック』(古市 眞也/著 京都ウエストサイド物語実行委員会 2000)p30~34
【資料4】『映画空間・右京区のフィールドワーク 大映京都撮影所とその地域』(大矢 敦子/編 立命館大学文学部人文総合科学インスティテュート冨田美香ゼミ 2002)p45
【資料5】『日本映画と京都』(平凡社 1997)p6,166~167
【資料6】『時代劇文化の発信地・京都』(大石 学/編,時代考証学会/編 サンライズ出版 2014)p188
【資料7】『映画ロマン紀行 京都シネマップ』(中島 貞夫/ほか著 京都国際映画祭組織委員会京都事務局,人文書院 1994)p38
【資料8】『シネマの京都をたどる』(蔵田 敏明/著 淡交社 2007)p74~76
【資料9】『映画百年 映画はこうしてはじまった』 (読売新聞文化部/編 東京 キネマ旬報社 1997)p135
【資料10】『千恵プロ時代 片岡千恵蔵・稲垣浩・伊丹万作洒脱に、エンターテインメント』(富田 美香/編 東京 フィルムアート社 1997)p8~9
【資料11】『マキノ一家』(石割 平/編・著 ワイズ出版 2000)
【資料12】京都映像文化デジタル・アーカイヴ マキノ・プロジェクトの洛西撮影所INDEXに双ヶ丘撮影所の歴史と年表あり
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10249467/www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/makino/aruke/aruke6.html
(最終確認2017.5.29)
【資料13】『創る育てる 立石電機55年のあゆみ』([立石電機/編] 立石電機 1988)p221
キーワード
(Keywords)
映画
撮影所
京都
右京区
双ヶ丘
双ヶ岡
葛野郡
花園
洛西
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000219391解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決