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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000215393
提供館
(Library)
所沢市立所沢図書館 (2310110)管理番号
(Control number)
所沢新所-2017-001
事例作成日
(Creation date)
2016/03/06登録日時
(Registration date)
2017年04月27日 00時30分更新日時
(Last update)
2017年04月28日 10時15分
質問
(Question)
戦後、ビッテル神父が靖国神社を解体して競馬場を建設するという計画に反対したそうだが、そのことがわかる資料はあるか。 
また、靖国神社を解体して競馬場にする計画についても知りたい。
回答
(Answer)
ビッテル神父が靖国神社を解体することに反対したことについては、以下の資料に記載があります。 
 
 〇『靖国』 中村直文/著 NHK取材班/著 日本放送出版協会 2007年 
 〇『靖国神社の祭神たち』 秦郁彦/著 新潮社 2010年
 〇『靖国神社』 神社本庁/編 PHP研究所  2012年 
 〇『靖国問題の原点』 三土修平/著 日本評論社 2013年
 〇『新世紀の靖國神社』 小堀桂一郎/編 渡部昇一/編 安倍基雄/[ほか著]  近代出版社 2005年 
 〇『帰化人が見た靖国神社のすべて』 石平/著 海竜社 2014年 
 〇『「靖国神社への呪縛」を解く』 大原康男/編著 小学館 2003年 
 〇『靖国神社をどう考えるか?』 加地伸行/[ほか]著 小学館 2001年 

靖国神社を解体して競馬場にする計画について記載のある資料はみつかりませんでしたが、以下の資料に靖国神社を中心とする娯楽街の構想があったが、実現しなかったことについて記載があります。

 〇『靖国の戦後史』 田中伸尚/著 岩波書店 2002年
 〇『靖国戦後秘史』 毎日新聞「靖国」取材班/著 毎日新聞社 2007年 
 〇『靖国神社』 赤澤史朗/著 岩波書店 2005年
 〇『Q&Aもっと知りたい靖国神社』 歴史教育者協議会/編 大月書店 2002年 
 〇『靖国』 坪内祐三/[著] 新潮社 1999年 
 
以下の資料に靖国神社と競馬場の関係を示す記載があります。

 〇『靖国問題の深層』 三土修平/著 幻冬舎ルネッサンス 2013年  
  
以下のホームページ内に靖国神社と競馬場の関係を示す記載があります。
 〇NIIKEI STYLEホームページ内 2011年12月16日付記事「靖国神社は昔、競馬場!目黒の住宅地にはコーナー跡」
 〇靖国神社ホームページ内「靖国神社史」
回答プロセス
(Answering process)
1.所蔵資料の内容確認
 
 〇『靖国』 中村直文/著 NHK取材班/著 日本放送出版協会 2007年
  p111~114「靖国神社を〝焼き討ち〟せよ」の項目があり、「ビッテル神父は、終戦直後から昭和27年(1952年)まで駐日ローマ法王代表・バチカン公使代理を務め、マッカーサー最高司令官やGHQを補佐していたとされる人物である。(中略)連合国軍の進駐直後、靖国神社の処理問題が取り上げられ、GHQは「焼却すべし」との強硬論に傾いていたという。(中略)ビッテル神父はすぐにマッカーサーへ回答を送った。(中略)もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることだろう。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。はっきりいって、靖国神社の焼却、廃止は米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。」と記載あり。 
  ただし、p113に「私たちはこのエピソードについてGHQやマッカーサー関連の膨大な資料を検索したが、残念ながらビッテル神父の証言を裏付けるものを見つけることはできなかった。ビッテル神父からマッカーサーへの答申書どころか、マッカーサーの副官・ウィラーからビッテルへ送ったという「覚書」さえ見つからなかった。」と記載あり。
 
  靖国神社解体計画について、戦後、靖国神社を解体して競馬場にするという計画について記載された箇所は見つからなかったが、解体して同じような娯楽施設建設に関する計画があったことが以下の箇所に記載されている。
 
  p210~213 「靖国神社の存続策として「昭和21年2月上旬にはUP(ユナイテッドプレス。現・UPI)発の次のような記事が世界に流れた。(中略)かつて日本軍の指導者たちによって強硬な軍事政策のプロパガンダとして利用されてきた靖国神社が、厳しい財政難にみまわれ、大幅な「民主化」を計画していると、同神社の運営を担当する池田良八主典が述べた。(中略)もともと、靖国神社の社頭が芝居小屋などでにぎわっていた時代もあり、横井神宮司にとってはある種の「原点回帰」策だったともいえる。(中略)私の構想の概略は、飯田橋から市ヶ谷の焼け跡を一括して、靖国神社のイキのかかった都市計画をたてたことです。(中略)靖国神社を中心とする娯楽街、つまり音楽堂、美術館、博物館、映画館などを建設して、靖国神社を中心に上野公園のような形式で発足する構想で、着々とその準備も整えました。(中略)各所への根回しが済む前に報道されてしまったことで、結局、この案は実現をみることがなかった。」と記載あり。
 
 〇『靖国神社の祭神たち』 秦郁彦/著 新潮社 2010年 
  p132「実際にかつて大本教の本山を襲った特高警察が神殿を崩壊、瓦礫の山としたように、靖国も破壊、炎上させよと主張する意見さえあり、それを知ったカトリックのビッテル神父がマッカーサーへ反対意見を送った話も伝わっている(5)。
  p270上記記載の注(5)として「『やすくに』昭和56年7月1日号の木山正義稿、なお、『マッカーサーの涙 -ブルーノ・ビッテルにきく』(朝日ソノラマ)を参照。」と記載あり。 
  ※所沢図書館に所蔵なし。国会図書館所蔵。 
 
 〇『靖国神社』 神社本庁/編 PHP研究所 2012年
  p140~141「それは占領初期にはGHQ内で靖国神社焼却案が構想されたことでもわかります。この計画を実施することについて相談を受けた一人が、カトリックのブルーノ・ビッテル神父は、GHQに「焼却してはならない」という強硬な意見書を出します。(中略)この乱暴極まる焼却案は、撤回されました。」と記載あり。  
 
 〇『「靖国神社への呪縛」を解く』 大原康男/編著 小学館 2003年 
  p36「占領初期には靖国神社を焼却してしまおうという考えすらGHQ内にはあったのである。(中略)昭和九年以来、長らく日本に住み、戦前中は上智大学の経営にたずさわっていたブルーノ・ビッテルというドイツのキール生まれのカトリック神父である。(中略)ビッテル神父はただちに同僚の神父と協議したうえで次のような結論に達し、その旨をしたためた意見書を提出した。(中略)この意見はすぐにウィラー大佐に伝えられ、靖国神社を焼き払うという乱暴な計画は辛うじて阻止された。」と記載あり。 
 
 〇『靖国神社をどう考えるか?』 加地伸行/[ほか]著 小学館 2001年 
  p14「GHQ内部には「靖国敵視」といった靖国神社の本質を誤解した雰囲気もあり、靖国神社や伊勢神宮、明治神宮などを焼却処分にするといった意見も飛び出したが、ブルーノ・ビッテル神父がマッカーサー元帥から、靖国神社存続の是非を諮問され、次のように答申し、元帥もこれを受け入れた。《(前略)靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというのなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。(後略)》」と記載あり。 
 
 〇『靖国問題の原点』 三土修平/著 日本評論社 2013年
  p207「マッカーサーが靖国神社を廃止させる件について在日カトリック神父ブルーノ・ビッターに意見を尋ね、いかなる国家もその国のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務があるから、靖国神社は存置すべきだとの回答を得たころ(後略)」と記載あり。 
 
 〇『新世紀の靖國神社』 小堀桂一郎/編 渡部昇一/編 安倍基雄/[ほか著]  近代出版社 2005年
  p16~17「神社即時廃止の危機」の項目があり、「ここに一人のカトリック神父がいる。名はブルーノ・ビッテル。(中略)二十年十月中旬、そのビッテル神父のところへ総司令官マッカーサー元元帥の副司令官H・B・ウィラー大佐から一通の元帥メモが届けられた。(中略)ビッテル神父はただちに数人の同僚神父たちと協議、次のような結論に達した。 「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。(中略)もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。(中略)はっきりいって、靖国神社の焼却、廃止は米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。」この結論は時をおかずウィラー大佐に伝えられ、靖国神社を焼き払うという乱暴な計画は阻止された。」との記載があり。
 
 〇『帰化人が見た靖国神社のすべて』 石平/著 海竜社 2014年
  p45「実は神道指令の発令以前から、GHQは靖国神社を焼却して、日本から靖国神社を完全に抹消するつもりだった。幸い、駐日ローマ法王庁代表のビッテル神父が「国家は、その国家のために命を捧げた人々に敬意を払う義務と権利がある」として焼却に反対した。さすがの占領軍もローマ法王の威光に逆らうことができなかったのか、靖国神社はそれで助かった。」と記載あり。
 
  
【ビッテル神父についての記載はないが、靖国神社を解体したあとの施設建設について記載のある資料】 
 
 〇『Q&Aもっと知りたい靖国神社』 歴史教育者協議会/編 大月書店 2002年
  p67下部 日本経済新聞1946年5月20日付記事「靖国神社、娯楽街になるか」の写真あり。
 
 〇『靖国戦後秘史』 毎日新聞「靖国」取材班/著 毎日新聞社 2007年
  p116~117「靖国神社は次第に娯楽化路線をひた走ることになる。推進したのは横井権宮司である。(中略)四六年一月二十一日、横井権宮司はGHQを訪れ、宗教課長のバンス大尉に「遊就館は神社の附属物である。将来は内容を全然変えて娯楽場(ローラースケート・ピンポン・メリーゴーランド等)及び映画場にしたい」という大胆なプランを持ちかけている。(中略)ところが四六年九月七日付『東京新聞』がこれを「一大娯楽境」構想として報道した途端、寝耳に水の遺族たちから猛烈な反対論が噴き出した。」と記載あり。 
 
 〇『靖国神社』 赤澤史朗/著 岩波書店 2005年
  p48~49「娯楽施設の建設計画」の項目があり、「この頃、遊就館と靖国神社の周囲に娯楽・遊戯施設を建設しようとする、再開発問題が出現してくる。これには神社経営上の新たな財源確保の狙いだけでなく、娯楽施設建設を通じて、靖国神社を非軍国主義的な方向へ転換させる意図があったものと思われる。(中略)一九四六年九月七日この計画は、『東京新聞』の記事となって一般に知られることになる。それは「終戦後急激に荒廃した靖国神社が今度一大娯楽境として近く更生する」といったものであった。(中略)そしてこの新聞記事をきっかけに「娯楽境」建設計画に対しては、神社の清浄性を汚すものだ、戦死者を冒涜するものだとの反撥がわき上がって、計画は一頓挫を来すのである。」と記載あり。 
 
 〇『靖国』 坪内祐三/[著] 新潮社 1999年 
  p279~287「昭和二一年七月、靖国神社では、ある一つの計画が進行していた。それは靖国神社アミューズメントパーク化計画である。(中略)ともかく靖国神社を中心とする娯楽街、つまり音楽堂・美術館・博物館・映画館などを建設して、靖国神社を中心に上野公園のような形式で発足する構想で、着々とその準備も整えました。(中略)だが彼らの計画は幻に終わる。翌日の東京新聞のスクープ記事によって。(中略)記事にはまた、この「娯楽街」の計画図も載っている。」と記載あり。 
 
  p285に、東京新聞昭和21年9月7日付記事「靖国神社娯楽街化」の写真あり。 
 
 〇『靖国の戦後史』 田中伸尚/著 岩波書店 2002年 
  p16「四六年一月二一日に行われたバーンズ宗教部長と靖国神社の横井時常権宮司の会談で、靖国神社側は付属の遊就館について「娯楽場」及び映画場にしたい」という構想を語っていた。(中略)横井権宮司はこの構想について、後年(六六年十月)、「靖国神社終戦覚書の中でさらに詳しく語っている。概略は、飯田橋から市ヶ谷の焼け跡に、靖国神社を中心に音楽堂・美術館・博物館・映画館などを建設して一大娯楽街をつくるというものであった。この計画は具体的に進められ、四六年九月には靖国神社の敷地内に二〇館もの映画館建設の計画を記した書類を警視庁など関係官庁に提出したという。しかし、これは『東京新聞』にスクープされたのがきっかけで、中止になった。」と記載あり。

 
【「競馬」が関係する記載のある資料】 
 
 〇『靖国問題の深層』 三土修平/著 幻冬舎ルネッサンス 2013年 
  p90~92「自由民主党内でのさまざまな論議・調整を経たのちに、1969年(昭和44年)から1974年(昭和49年)にかけて、靖国神社を特殊法人に改組して、国家で護持する内容の靖国神社法案が、5回にわたって国会に上程されることになった。(中略)特殊法人というのは、法人一個ごとに、その根拠となる法律がわざわざ個別に制定されている公的法人のことで、日本放送協会や日本中央競馬会などが、それに当たる。(中略)靖国神社法案は、戦後宗教法人として存続してきた靖国神社を、日本放送協会や日本中央競馬会のような公的な性格をもつ法人に改組し、国の支援を公然とをあげ、宗教法人として存続してきた靖国神社を国の支援を公然と受けられる組織に変えようという狙いがあったとしている。」
 
 
2.インターネット調査 
 
【靖国神社と競馬場の関係を示す記載あり】
 〇靖国神社ホームページ内「靖国神社史」 
  「明治4年(1871年)5月に例大祭に併せて明治31年まで競馬興行が行われた」と記載あり。 
 〇NIKKEI STYLEホームページ内 2011年12月16日付記事 「靖国神社は昔、競馬場! 目黒の住宅地にはコーナー跡」 
  「東京で初めて西洋式の競馬が行われたのは靖国神社の境内だという。靖国神社は当初「東京招魂社」と呼ばれ、幕末から明治維新にかけての戦没者を祭るため1869年(明治2年)に創建され、1870年には第1回の競馬が行われ、年3回ある例大祭の奉納競馬として実施され、神事の一環でもあり、1898年まで続いた」と記載あり。
 
  
3.内容確認したが、記載のない資料  
 ×『新・ようこそ靖國神社へ』 靖國神社/監修 所功/編 近代出版社 2007年 ×『教科書に書かれなかった戦争 Part5』 西川重則/著 梨の木舎 2000年 
 ×『いま、「靖国」を問う意味』 田中伸尚/著 岩波書店 2015年
 ×『国家と犠牲』 高橋哲哉/著 日本放送出版協会 2005年  
 ×『マッカーサーの日本占領』 世界文化社 2001年
 ×『その時歴史が動いた 10』 NHK取材班/編 KTC中央出版 2001年
 ×『 教科書に書かれなかった戦争 Part5』 西川重則/著 梨の木舎 2000年 
 ×『國破れてマッカーサー』 西鋭夫/著 中央公論新社 2005年 
 ×『靖国法案の五年』 西川重則著 すぐ書房  1974年(所沢所蔵なし) 
 ×『靖国神社百年史 事歴年表』 靖国神社編集 靖国神社 1987年(所沢所蔵なし)
 ×朝日新聞データベース「聞蔵」・読売新聞データベース「ヨミダス」では、ビッテル神父と靖国神社について・靖国神社解体計画についての記事は見つからなかった。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
神社.神職  (175 9版)
参考資料
(Reference materials)
新世紀の靖國神社 小堀桂一郎/編 近代出版社 2005.10 175.1 4-907816-18-9
靖国 中村直文/著 日本放送出版協会 2007.6 175.1 978-4-14-081122-1
靖国 坪内祐三/[著] 新潮社 1999.1 175.9361 4-10-428101-8
靖国神社 神社本庁/編 PHP研究所 2012.8 175.1 978-4-569-70647-4
帰化人が見た靖国神社のすべて 石平/著 海竜社 2014.8 175.1 978-4-7593-1383-3
Q&Aもっと知りたい靖国神社 歴史教育者協議会/編 大月書店 2002.6 175.1 4-272-52070-9
靖国問題の原点 三土修平/著 日本評論社 2013.7 175.1 978-4-535-58654-3
靖国の戦後史 田中伸尚/著 岩波書店 2002.6 175.1 4-00-430788-0
靖国問題の深層 三土修平/著 幻冬舎ルネッサンス 2013.6 175.1 978-4-7790-6081-6
靖国戦後秘史 毎日新聞「靖国」取材班/著 毎日新聞社 2007.8 175.1 978-4-620-31830-1
靖国神社の祭神たち 秦郁彦/著 新潮社 2010.1 175.1 978-4-10-603654-5
靖国神社 赤澤史朗/著 岩波書店 2005.7 175.1 4-00-002322-5
靖国神社をどう考えるか? 加地伸行/[ほか]著 小学館 2001.8 175.1 4-09-404622-4
「靖国神社への呪縛」を解く 大原康男/編著 小学館 2003.8 175.1 4-09-405731-5
NIIKEI STYLE 東京ふしぎ探検隊(16) http://style.nikkei.com/article/DGXBZO37293640V11C11A2000000 2017/04/15 (靖国神社は昔、競馬場!目黒の住宅地にはコーナー跡)
靖国神社公式ホームページ http://www.yasukuni.or.jp/history/history.html 2017/04/04 (靖国神社史)
キーワード
(Keywords)
靖国神社
競馬場
ブルーノ・ビッテル神父
靖国神社法案
GHQ
ブルーノ・ビッター神父
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
その他
質問者区分
(Category of questioner)
一般
登録番号
(Registration number)
1000215393解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決