レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/2/8
- 登録日時
- 2017/03/17 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:32
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000467
- 質問
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解決
【高山右近の子孫について】 高山右近が福者に認定された際、石川県の志賀に末裔と名乗る人物がいると聞いたが、事実か確認したい。
- 回答
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『マニラから加賀藩に戻った高山右近の家族』(109213110)(「キリシタン文化研究会会報143号」の抜刷)
『マニラから加賀藩に戻った高山右近の孫、その潜伏キリシタンの系譜』(109213095)(「キリシタン文化研究会会報145号」の抜刷)
・長崎発信書翰に「右近の妻、娘、孫たちの一人が日本に戻ってきた(後略)」との記載がある。木越氏の論文によれば、右近の妻と娘ルチア、右近の孫の一人が戻り、元夫横山康玄(ヤスハル)と加賀で面会した。能登に右近の知行地があり、康玄が元妻を密かに預けたと思われる横山家が当地に現存している。
・「北国新聞」1937年8月6日に羽咋郡西土田村の高山久太郎氏が子孫として名乗りを上げたとの記事がある。
・久太郎氏宅の掛け軸に「先祖は右近の大夫長房の孫たり。」とあり以下代々の記載に続く。(慶応元年田鶴浜悦臾寺(悦叟寺とも)禅僧賛文)
・高山豊次氏(久太郎氏の子)菩提寺の過去帳には、天保からの記載しかない。
北國新聞2016年11月7日,2016年1月23日,1998年6月28日等右近に関する記事では「高山右近の末裔とされる高山豊次氏」と記載されている。
北陸中日新聞2015年6月13日朝刊14面記事「高山右近の子孫に迫る」では「高山家十六代当主の豊次さん」と記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000212098