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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000212032
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2016-122
事例作成日
(Creation date)
2016年06月11日登録日時
(Registration date)
2017年03月16日 13時00分更新日時
(Last update)
2017年06月02日 13時50分
質問
(Question)
明治5年12月3日(太陰暦)旧暦と明治6年1月1日(太陽暦)は同じ日である。この改暦について太政官布告337号で定められたと思うが、その内容を知りたい。
回答
(Answer)
該当する記述のあった下記の資料を紹介した。

『年号の歴史 元号制度の史的研究』(所功著 雄山閣出版 1996)
 p174「第九章 一世一元制の史的考察 明治改元の経緯」
 「明治の改元については、『明治天皇紀』の明治元年九月当該条が最も簡にして要をえている(中略)引用してみよう。(イ)七日、将に改元の儀を行はせられんとするを以て、親しく内侍所に謁し、御神楽を奏せしめたまひ、御拝あらせらる。乃ち御籤を抽き、年号の字(明治)を聖択したまふ。(ロ)八日、詔して慶応四年を改めて(後略)。(ハ)その覆奏に当たりては、(後略)。(ニ)(全略)。(ホ)又、改元の手続は、清菅両家の堂上をして各々数号を勘申せしめ、(後略)。(ヘ)是の日、宮城諸門を開き、辰の刻、改元定の儀を行ふ。(後略)。右の記事は大体正確であるが、(中略)一部に誤記もみられる。そこで、七日・八日条の末尾に示されている典拠資料などを再検討しながら、明治改元の経緯を再確認しておこう。」とあり、複数の典拠資料とともに、改元経緯の考察がなされている。

『明治改暦 「時」の文明開化』(岡田芳朗著 大修館書店 1994)
 p59‐69「「明治」改元‐一世一元制の採用」
 「(略)ただし、先帝の定めた年号を年の途中で変更することは礼に反するとして、践祚の翌年にいわゆる踰年改元を行うのを例とした。明治天皇の場合では、慶応二年十二月二十五日孝明天皇が崩御し、翌三年正月九日に明治天皇が践祚している。」
 「その改元の詔書は、旧制に従って漢文体によるものであったが、此処では読み下し文で示す。」
 以下詔書の内容が読み下し文活字であり。詔書の写真あり。
 「(中略)この詔書も覆奏は九月十二日となり、この日に天応裁可の御畫が記されている。したがって、改元は九月八日とされているが、実際に一般に公布通達されたのは十二日以降のこと思われる。改元と「御一代一号」を知らせた次の行政官布告には九月とだけあって日付がない。今般、御宗以御大礼済ましなされ、先例の通り年号を改めなされ候、就ては是迄吉凶の象兆に随ひ、屢々改号之れ有り候へ共、自今御一代一号に定められ候、之に依り、慶応四年を改めて、明治元年となす可きの旨、仰せ出され候事改元の布告と併せて大赦令が出され、その令文にも「今般御即位被為済改元被仰出候ニ付テ」とあって、即位の礼と改元が大赦の理由とされている。改元の布告は全国に伝達されたが、外国の使節団には神奈川府知事東久世通禧によって、次のように通告された。手紙を以て啓上候、然ば、今般我国年号を明治と改元之あり、以来一代一号と相定め候趣、此段御意を得べく、此の如くに御座候以上 九月十八日  東久世中将 各国公使閣下 かくして、従来からの改元のしきたりに従って史上から慶応四年という年は抹消され、この年の年初に遡って明治元年と呼ばれることになったのである。」

『法令全書 第5ノ1巻 明治5年』(内閣官報局編 原書房 1974)
 p230「第三百三十七號 (十一月九日)(布)」
 布告原文の掲載あり(省略)。
回答プロセス
(Answering process)
1 事実確認を行う
『新聞集成明治編年史 第1巻』(中山泰昌編著 本邦書籍 1982)
 記載なし。
『日本近代史年表 誰でも読める』(吉川弘文館 2008)
 p22「西暦:1872、年号・干支:明治5 壬申」の項に「12・3(73・1・1)この日を明治六 年一月一日とする。」とあり。
凡例に「明治五年(一八七二)以前は、年ごとに各月の大小、朔日の西暦(グレゴリオ 暦)による日付けを記載した。」「明治五年(一八七二)以前は、和暦による日付けにはグレゴリオ暦による日付けを( )内に注記した。」
『日本史総合年表』(加藤友康〔ほか〕編 吉川弘文館 2005)
 p506「西暦:1872、年号・干支:明治5 壬申」の項に「12.3(1.1)この日を明治6年1月1日とする。」とあり。
 凡例に「593年(推古天皇元)以降の西暦欄には、和暦の1月1日に相当する西暦の月日(1581年以前ユリウス暦、1582年の改暦以後はグレゴリオ暦)を加えた。なお、対外交渉が頻繁となる1853年(嘉永6)以降1872年(明治5)12月3日の改暦までの間の国内項目の日付には、それぞれにグレゴリオ暦の月日を括弧内に付記した。」
『日本史要覧』(日本史広辞典編集委員会編 山川出版社 2000)
 p48「西暦:1872、干支:戊辰、年号:明治5、年初/閏:2.9」
 注意書きに「1)西暦は、1582年10月4日までユリウス暦、その翌日からグレゴリオ暦である 2)改元月日は太陰暦(1871年まで)、年初月日は西暦である 3)閏月は年初月日の後に○で囲んで示した」とあり。
『日本史必携』(吉川弘文館編集部編 吉川弘文館 2006)
 p101「西暦:1872.2.9、年号:明治5、主要記事:12・3この日を明治六年一月一日とする」
『読める年表・日本史 歴史愛好家必携新聞スタイルの日本史年表』(川崎庸之〔ほか〕総監修 自由国民社 2006)
 p826「改暦 -太陰暦から太陽暦へ・11月9日、太陰暦を廃して太陽暦を採用するとの布告が出された。これによって明治五年は12月2日をもって終わり、翌3日は六年の1月1日となる。
 p826「事件史 ついていけない旅中の岩倉使節団」の中に「使節一行が太平洋の船中にいた一一月二一日が太陽暦の一八七二年一月一日で、日本の明治元年一月一日は太陽暦では二月八日なのだった。使節たちは、なお、この年いっぱい暦のズレに悩まされる。」とあり。
『日本史小百科 5 暦』(近藤出版社 1978)
『明治改暦 「時」の文明開化』(岡田芳朗著 大修館書店 1994)
 p115-「第三章 改暦の断行と太陽暦の誕生」に記載あり。

2 布告原文を探す
『法令全書 第5ノ1巻 明治5年』(内閣官報局編 原書房 1974)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
参考資料
(Reference materials)
『年号の歴史 元号制度の史的研究』(所功著 雄山閣出版 1996), ISBN 4-639-00845-7
『明治改暦 「時」の文明開化』(岡田芳朗著 大修館書店 1994), ISBN 4-469-22100-7
『法令全書 第1巻 自慶応3年10月至明治元年12月』(内閣官報局編 原書房 1974)
キーワード
(Keywords)
暦-日本
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介 事実調査
内容種別
(Type of subject)
歴史
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000212032解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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