『ヘウレーカ!ひらめきの瞬間』に、ゲオルク・フォン・ヘヴェシーの記述として、「マックス・フォン・ラウエが安全な保管場所を求めてコペンハーゲンへ送ってきたノーベル賞のメダルについて、ボーアが心配しているのを私は知りました。ヒトラー帝国で金を国外へ送り出すことはほとんど極刑に値する重大な違反であり、メダルにはラウエの名前が刻まれていますから、侵攻軍にこれを発見されたならば、ボーアにとって非常に深刻な結果になるに違いありません。メダルを地下に埋めることを私は提案しましたが、メダルは掘り出されるかもしれないとボーアはこの案が気に入りませんでした。それで、私はメダルを溶かしてしまう決心をしました。侵攻軍がコペンハーゲンの街路を行進しているあいだ、私はラウエのメダルともう一つジェームズ・フランクのメダルをせっせと溶かしていました。」と記載されている。
『スプーンと元素周期表 「最も簡潔な人類史」への手引き』に「二人のドイツ人―うち一人はユダヤ人に同情的な擁護派、もう一人はユダヤ人―が、一九三〇年代に金でできたノーベル賞メダルをボーアのもとへ送って預かってもらっていた。ドイツではナチに没収されるおそれがあったからだ。ところが、ヒトラーは金の輸出も国家犯罪としていたため、デンマークでメダルが見つかったら二重の犯罪に問われる可能性があった。ド・ヘヴェシーはメダルを埋めることを提案したが、ボーアは簡単にばれると反対した。そこで、のちに回想しているように、ド・ヘヴェシーは「侵攻してきた軍がコペンハーゲンの街中を行進している間、私は手を休めることなく[マックス・フォン・]ラウエとジェイムズ・フランクのメダルを溶かしていました」。溶かすのには王水を使った。」とある。
『面白くて眠れなくなる元素』の「金メダルを溶かして秘匿」の項に、「第二次世界大戦中にデンマークに滞在中だったハンガリーの化学者ヘヴェシー(一八八五~一九六六)は、デンマークがドイツに占領されてドイツ軍に追われる身となりました。彼はその時、ある二人からノーベル賞の金メダルを預かっていたのです。メダルといえども金を国外へもち出すことが違法とされていたので、ヘヴェシーは、金メダルを王水で溶かして、それをニールズ・ボーア研究所の実験室にしまってからスウェーデンへ亡命したのです。」と記載されている。