レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/12/02
- 登録日時
- 2017/02/23 00:30
- 更新日時
- 2017/02/23 00:30
- 管理番号
- 北方 16-0035
- 質問
-
解決
咸臨丸の最後について、『讃岐人物風景〈8〉 百花繚乱の西讃 』(四国新聞社 ∥編 大和学芸図書 1982)に、(咸臨丸は)「明治四年(一八七一)、民間の回漕会社に払い下げられた。そしてこの年の九月二十日、北海道移民団を輸送中、函館湾沿岸で沈没、その姿を北海の海底に永久に閉ざしてしまった。」といった記事があった。そこで、以下について知りたい。
1 この根拠となる当時の新聞記事などの情報
2 同鑑の引揚に関する情報
3 その他、咸臨丸の最後に関する情報
- 回答
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1 この根拠となる当時の新聞記事などの情報
『北海道・樺太の新聞雑誌』等によれば、明治四年には、北海道では新聞は未刊。
全国紙に広げ、関連の資料を見たが、記事は発見できず。
2 同鑑の引揚に関する情報
咸臨丸が沈没した地元木古内町のホームページ等によると、船体は現在まで引き揚げら
れていない。
鉄片や錨が引き揚げられた新聞記事と要旨は、次のとおり
「<発信2011 咸臨丸に夢乗せて 木古内沖座礁から140年>中 調査・分析
最後の謎 心つかむ」
『北海道新聞』2011年9月8日 朝刊 p32
→1990年に19世紀の船の一部とみられる鉄片を発見したが、咸臨丸由来とは
特定できず。
2006年に日本海事史学会の小川氏が、1984年に発見されたいかりの鉄成
分を分析し、咸臨丸のものとみられると発表したが、東大総合博物館の分析では
断定にいたらなかった旨記述あり。
「22年前、木古内沖で引き揚げ 錨は咸臨丸の可能性 江差町沖の鎖成分と一致」
『北海道新聞』2006年9月22日 朝刊p35
→ 日本海事史学会の小川氏が、錨は咸臨丸のものとみられると報告。
木古内町は、東大総合博物館に化学分析を依頼
3 その他、咸臨丸の最後に関する情報
回答資料のとおり紹介
回答資料3:従来、沈没は荒天のためと言われてきたが、様々な資料を引用しながら、
当日は月夜だった可能性があり、荒天は開拓使のデッチあげではないか
との説を述べる。
出版年が比較的新しく、引用文献も多いので、一読をすすめる。
関連サイトも紹介
・北海道立文書館「公文書検索」
http://www.bunsho.pref.hokkaido.lg.jp/1113001/kokai/monjokan/mj_kou_kensaku.asp
→「咸臨丸」で検索すると、関連の公文書が種々ヒット
・「サラキ岬から引き揚げられた錨は咸臨丸の錨なのか?」(木古内町観光協会)
http://kikonai-kankou.net/kanrinikari001.html
・サラキ岬に眠る「咸臨丸」(木古内町)
http://www.town.kikonai.hokkaido.jp/kankoujouhou/rekishibunkazai/kanrinmaru.htm
・木古内町郷土資料館 「いかりん館」
http://www.town.kikonai.hokkaido.jp/kankoujouhou/kankousupot/kyoudoshiryoukan.htm
※引き揚げられた錨を展示している
・咸臨丸のいかり(英語喫茶)
http://www.englishcafe.jp/pic/ikari.html
→1984年11月に木古内町サラキ岬の海底から引き揚げられたいかりは、2005年の
調査で咸臨丸のものである可能性が強まったとあり
(2015年5月取材記事)
インターネット最終確認:2016.12.2
『讃岐人物風景〈8〉 百花繚乱の西讃 』は当館未所蔵
- 回答プロセス
-
以下の資料も参考とした。
1 『幕末軍艦咸臨丸』(文倉平次郎∥編 名著刊行会 1969)
請求記号:210.51/B 資料ID:1101917068
2 『明治ニュ-ス事典 総索引』
(明治ニュ-ス事典編纂委員会,毎日コミュニケ-ションズ出版部∥編 毎日コミュニケ-ションズ 1986.2) 請求記号:210.6/ME 資料ID:1101695375
3 『日本初期新聞全集 32 明治4年8月(1871年9月)-明治4年10月(1871年12月)』
(ぺりかん社 1991.10) 請求記号:070.21/NI/32 資料ID:1102902473
4 『新聞集成明治編年史 第15巻 全巻索引』
(新聞集成明治編年史編纂会?編纂 財政経済学会 1936)
請求記号:071/SH/M-15 資料ID:1102914726
5 『幕末明治新聞全集 第6巻 下 明治四年より明治五年まで』
(明治文化研究会?[編] 世界文庫 1961) 請求記号:071/ME/6-2 資料ID:1102914452
6 『北海道・樺太の新聞雑誌』(功刀真一∥著 北海道新聞社 1985.8)
請求記号:070.2/KU/ロ 資料ID:1109387231
7 『広報きこない 通巻408号?通巻431号』(木古内町)
請求記号:KOHO 資料ID:1207011444
8 『北海道年鑑 昭和60年版』(北海道新聞社∥編 北海道新聞社 1985)
請求記号:059/HO/S60 資料ID:1102221304
9 『北海道新聞 縮刷版』(北海道新聞社 1984年11-12月) 目次
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 7版)
- 参考資料
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- 1 木古内町史 木古内町史編さん委員会∥編 木古内町 1982 218.57/KI p624-633:咸臨丸 『開拓使公文録』の引用ほか ※館内利用
-
2 「咸臨丸」最後の乗船者 白石片倉小十郎家臣団 塚本 謙蔵∥著 札幌三光印刷(印刷) 1993 288.3/KA p83-107:「咸臨丸 サラキ岬で座礁・破船」 -
3 咸臨丸栄光と悲劇の5000日 合田 一道∥著 北海道新聞社 2000.11 210.51/KA -
4 伊達藩士と北海道開拓 札幌宮城県人会∥編 札幌宮城県人会 1968 334.5/D p50-53 ※館内利用 -
5 永(はるか) 福島町史研究会会報 通巻7号 福島町史研究会 2008.7 Z304 p12-14:「『咸臨丸』その終焉をめぐって」(小笠原実) -
6 南北海道史 通巻15号 南北海道史研究会 1974.12 Z304 p1-6:「咸臨丸の終焉とその経緯」(古館正) -
7 北方ジャーナル 第3巻第10号通巻31号 北方ジャーナル社 1974.10 Z104 p156-162:「咸臨丸の最期」(古館正) -
8 ラメール 第38巻第5号通巻222号 日本海事広報協会 日本海事広報協会 2013.9 Z503 p52-55:「仙台藩士の移住と咸臨丸の最期」(合田一道) -
9 北の青嵐 道史協支部交流会報 通巻90号 北海道史研究協議会 2000.7 Z304 p1-2:「更木沖に眠る咸臨丸沈没の謎」(合田一道) -
1 幕末軍艦咸臨丸 文倉平次郎∥編 名著刊行会 1969 210.51/B -
2 明治ニュ-ス事典 総索引 明治ニュ-ス事典編纂委員会,毎日コミュニケ-ションズ出版部∥編 毎日コミュニケ-ションズ 1986.2 210.6/ME -
3 日本初期新聞全集 32 明治4年8月(1871年9月)-明治4年10月(1871年12月) ぺりかん社 1991.10 070.21/NI/32 -
4 新聞集成明治編年史 第15巻 全巻索引 新聞集成明治編年史編纂会?編纂 財政経済学会 1936 071/SH/M-15 -
5 幕末明治新聞全集 第6巻 下 明治四年より明治五年まで 明治文化研究会?[編] 世界文庫 1961 071/ME/6-2 -
6 北海道・樺太の新聞雑誌 功刀真一∥著 北海道新聞社 1985.8 070.2/KU/ロ -
7 広報きこない 通巻408号?通巻431号 木古内町 KOHO -
8 北海道年鑑 昭和60年版 北海道新聞社∥編 北海道新聞社 1985 059/HO/S60 -
9 北海道新聞 縮刷版 北海道新聞社 1984年11-12月 目次
- キーワード
-
- 咸臨丸
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000210443