レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2017/02/08 19:53
- 更新日時
- 2017/03/13 16:24
- 管理番号
- 広県図20160012
- 質問
-
解決
江戸時代,川路聖謨が長崎に出張するときに書いた日記に,尾道に立ち寄ったことが書かれている。その日記が読みたい。
- 回答
-
次の資料に,尾道に立ち寄ったことが記されていた。
『長崎日記・下田日記』(川路聖謨/著,藤井貞文,川田貞夫/校注,平凡社,1968(東洋文庫124))
p.28-29 [嘉永6(1853)年11月]廿三日 晴(時々微雪。四十五度、寒し)
「七ツ時備後国尾のみち〔道〕に止宿いたす。」
p.124-125 [嘉永7(1854)年2月]六日 くもり、夕雨
「九ツ半時〔午後一時〕過尾道へ止宿。」
- 回答プロセス
-
1 川路聖謨について調査した。
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社/著,朝日新聞社,1994)
p.484 川路聖謨
「幕末の幕府官僚。豊後(大分県)日田代官所属吏内藤吉兵衛の子。(略)筒井政憲と共に露使応接掛として長崎へ出張。」とあるが,日記については記述がなかった。
『国史大辞典3』(国史大事典編集委員会/編,吉川弘文館,1983)
p.715 かわじとしあきら 川路聖謨
「聖謨は平素文筆に親しんで多くの遺著を残したが、遠国奉行中の日記をはじめ、露使と応接した『長崎日記』『下田日記』(略)に収められる。」とあり,著書に『長崎日記』があることが分かった。
2 当館の蔵書を調査した。
当館の蔵書検索でタイトルに「長崎日記」,著者名に「川路聖謨」を入力して検索した。『長崎日記・下田日記』(川路聖謨/著,藤井貞文,川田貞夫/校注,平凡社,1968(東洋文庫124))がヒットした。
3 資料を確認した。
『長崎日記・下田日記』のうち,「長崎日記」の記述を確認した。
江戸から長崎に向かう途中の嘉永6年11月23日に,尾道に止宿したことが記載されていた。
また,江戸へ戻る途中の嘉永7年2月6日にも,尾道に止宿したことが記載されていた。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 参考資料
-
- 『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社/著,朝日新聞社,1994) ( p.484 川路聖謨「幕末の幕府官僚。豊後(大分県)日田代官所属吏内藤吉兵衛の子。(略)筒井政憲と共に露使応接掛として長崎へ出張。」)
- 『国史大辞典3』(国史大事典編集委員会/編,吉川弘文館,1983) (p.715 かわじとしあきら 川路聖謨「聖謨は平素文筆に親しんで多くの遺著を残したが、遠国奉行中の日記をはじめ、露使と応接した『長崎日記』『下田日記』(略)に収められる。」)
- 『長崎日記・下田日記』(川路聖謨/著,藤井貞文,川田貞夫/校注,平凡社,1968(東洋文庫124)) (p.28-29 廿三日 晴(時々微雪。四十五度、寒し)「七ツ時備後国尾のみち〔道〕に止宿いたす。」p.124-125 六日 くもり、夕雨「九ツ半時〔午後一時〕過尾道へ止宿。」)
- キーワード
-
- 川路聖謨
- 長崎日記
- 尾道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000209504