レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年10月1日
- 登録日時
- 2017/02/06 15:18
- 更新日時
- 2017/11/15 13:25
- 管理番号
- 長野市立長野-16-030
- 質問
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解決
信州新町にある神部(とものお)神社は、昔から「とものお」神社と呼ばれていたのか知りたい。なぜ「かんべ」と呼ばないのか。
- 回答
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文献と神主の方のお話より、正確な時期は不明だが、恐らく江戸時代末から「とものお」神社と呼ばれていたと考えられる。
「かんべ」と呼ばれていた事実は確認できなかった。
別の文献では「みわのべ」と読むべきという記述もありました。
- 回答プロセス
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『上水内神社誌』(p58-59)
神部神社の由緒についての項目に、「寛保年間扉川洪水の際、社頭流失に依り文献等散免し、立寛政元年8月14日、吉田家へ願ひ更に神部神社の宣旨告文を授けられ」とあり、寛政以前の文献は洪水で流されてしまったが、その頃より『神部神社』という名称であったことが分かった。
この文献には寛政当時の読みが記されておらず、語彙から調べようと思い『大辞泉 上巻』で「かんべ」を引いたところ、
p839「律令制での神祇官の部民。神祇官の雑務に従事した。かんとも。かんとものお。かみとものお」とあり。
更に『大辞林』にも、③に「律令制下、神祇官の雑事に使用された伴部(ともべ)。かんとものお。」との記載があった。
最後に神主の方に電話で確認をとったところ、自分が神主になった当時から大昔の神祇官の役職にちなんで『とものお』神社と呼ばれていたとの回答を頂いた。
どのくらい昔からそう呼ばれていたのかは不明であるが、質問者へは文献での調査内容と神主さんのお話を併せて回答とした。
※後日、『信州新町史 上巻』を調べたところ、p413 日本三代実録貞観8年2月7日の粂に関する記載があり、そこに「神部は“ミワノベ”」と読み」と、まったく別の呼び方が出てきた。
『新選漢和辞典』で「神」の読みを調べたところ、p744 人名の項目に「みわ」とあり。
更に『長野県上水内郡誌 歴史篇』p284に、「郡内には、今信州新町に神部神社と称する神社があるが、江戸時代末に称せらるに至ったもので、恐らく、美和神社に併祀された神名で、神部は“ミワノベ”と読むべきものであろう。」との記載を確認。
以上のことから、神名からみると「ミワノベ」神社、ということが分かった。
江戸時代末から『とものお』と呼ばれていたのかは読みの記載が無いため正確なことは不明。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 参考資料
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- 『上水内神社誌』 上水内神社誌改訂版編纂委員会/編纂 長野県神社庁上水内支部 2010.03 <N170 カ> (p58-59)
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『大辞泉 上巻』 松村 明/監修 小学館 2012.11
(p839) - 『大辞林』 松村 明/編 三省堂 2006.10(R 813 タ)
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『信州新町史 上巻』 信州新町教育委員会信州新町史編さん委員会/編集 信州新町 1979
(p413) - 『新選漢和辞典』 小林信明/編 小学館 1990.1 〈資料室〉 (p744)
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『長野県上水内郡誌 歴史篇』 上水内郡誌編集会/編 上水内郡誌編集会 1976
(p284)
- キーワード
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- 信州新町
- 神部神社
- 照会先
- 寄与者
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- 神部神社
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000208960