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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000196695
提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
1000000870
事例作成日
(Creation date)
2016/09/07登録日時
(Registration date)
2016年09月08日 00時30分更新日時
(Last update)
2016年09月08日 00時30分
質問
(Question)
戦後から日本復帰前(1972年)までの沖縄における花嫁の衣装及びその当時の写真などについて知りたい。
回答
(Answer)
下記の資料に記載がある。①~⑥は主に当時の様子、⑦~⑪は主に写真が掲載されている。


『沖縄女性史研究 第3号』(沖縄県女性史研究会 [編]・刊、1980.8)
p51 「落下傘で作った結婚衣装 伊波絢子」で、p51 「私たちの結婚が決まったものの、当時は花嫁衣装をみつけるのが容易ではありませんでした。引揚げ者が持ち帰った数少ない衣装を、順番待ちで借りるという状況でしたから、白無垢であるべき角隠しも薄汚れ、くたびれた衣装を着た花嫁姿をみる度に、「あれでは花嫁が可哀想、むしろ普段着の方が」と思ったほどでした。」の記述がある。
p51-52 「丁度その頃、那覇高校の職員が校舎建築の基金集めで「ハムレット」で巡業していました。その時、私は「オフィリア」の衣装をみて、「あの落下傘でウエディングドレスはできないものかしら」と、早速、那覇高校の家庭科の教師をしている姉に相談して一緒にデザインしました。布地はたっぷりあったので、ギャザーやフリルもゆっくりとれてすてきなウエディングドレスができ上がりました。ベールと手袋は、オフィリアのを借りることができ、当時にしては新鮮で豪華な花嫁衣装ができあがったのです。」の記述がある。


『時代を彩った女たち』(琉球新報社 編、ニライ社、1996.9)
p1-12 「時代を彩った女たち 外間米子」で、p11 「パラシュートの布地で花嫁衣装や子ども服をつくる。」の記述がある。
p283-287 「宮里初子 女性唯一の立法議員」で、p286 「1942年11月、宮里栄輝と結婚」の写真がある。
p294-300 「大庭由紀子 服飾文化の向上に尽力」で、p298 「当時生地もない時代で、軍服(HBT)やラシャ(海軍軍服)などをほどいてこま切れになった生地をデザインでカバーして素敵に服が出来上がったこと、また落下傘のウェディングドレスを作って注目をあびたり…」の記述がある。


『戦後50年おきなわ女性のあゆみ』(「戦後50年おきなわ女性のあゆみ」編集委員会 編、沖縄県、1996.3)
p214-215 「平 フミ」の項目で、p215 「多くの学院生が落下傘の布で純白のウェディングドレスを製作、それを着て結婚式にのぞんだ。女性としてどれほど誇らしく、感激したことか。」の記述がある。


『戦後をたどる』(那覇市歴史博物館 編、琉球新報社、2007.2)
p19-22 「くらし 闇市が登場、主役は女性 宮城晴美」の項目で、p20 「四七年から、ララ物資(アジア救済連盟による救援物資)が沖縄住民にもたらされ、衣料品や医薬品、学用品などの配給がはじまった。女性たちは、アメリカ人サイズの洋服を家族用に仕立て直し、…パラシュートのウェディングドレスは、シルクの最高級品として重宝がられた。」の記述がある。


『オキナワ・海を渡った米兵花嫁たち』(沢岻 悦子 著、高文研、2000.6)
p25-29 「圧倒的だった経済力の差」の項目で、 p27 「六ヵ月ぐらい付き合ってから結婚した。とみさんが二三歳、夫が二〇歳の時である。結婚が決まって米軍当局に届け出た。結婚式の日はとみさんが高島田を結って、日本風の式をあげた。」の記述がある。


『momoto Vol.9』(編集工房東洋企画、2012.1)
p22-35 「琉球・沖縄 結婚・婚礼の歴史」で、p32 「昭和22年(1947年)、中国大陸から復員したばかりの夫と結婚した中山きくさんは、当時の結婚式をこう振り返る。…仲人さんの奥様が、どこからか着物や角隠しを借りてくださって、素人の着付けでどうにか花嫁支度をしたのよ。当時はモノがなくてね…。」の記述がある。
p22 「3:昭和23(1948)年撮影の花嫁」の写真がある。
p23 「2:昭和40年(1965年)、那覇市役所の窓口に国際結婚届を出す二人」、「3:昭和41年(1966年)、仏前で祝言報告をしていると思われる花嫁。クラシックな黒の大振袖を着ている」の写真がある。


『0からの時代 戦後沖縄写真集』(那覇出版社編集部 編、那覇出版社、1979.2)
p131 「職場の同僚だろうか、結婚式に招待されたアメリカ人。サーターアンダギーにケーキにコーラ、花嫁は和装で…このアンバランスもさほど奇異に感じない沖縄の戦後」の写真がある。


『写真でつづる那覇 戦後50年』(那覇市文化局歴史資料室 編、那覇市、1996.3)
p155-157 1947年から1972年(日本復帰)までの多数の婚礼写真があり、着物やウェディングドレスを確認できる。


『あんやたん』(沖縄タイムス社出版部 編、琉球銀行、1995.9)
p22 「基地の花嫁 花嫁は沖縄娘、花婿は米軍兵士。こうして夫とともにアメリカに渡る花嫁のうち、うまくいっている例は少ないという(1954年ごろ)」の写真がある。


『写真に見る沖縄戦後史』(沖縄タイムス社 編・刊、1972.8)
p31 「国際結婚 花嫁は沖縄ムスメ、婿は米軍兵士。」で、参考資料⑤と同じ写真がある。


『宜野湾市史 別冊 写真集「ぎのわん」』(宜野湾市史編集委員会 編、宜野湾市教育委員会、1991.10)
p158 「国際結婚(キャンプズケラン)1963(昭和38)年 フルーツポンチやケーキなどのアメリカ風パーティにみなびっくりした。」の写真がある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
社会史.社会体制  (362 8版)
参考資料
(Reference materials)
1 沖縄女性史研究 第3号 沖縄県女性史研究会∥[編] 沖縄県女性史研究会 1980.8 K367/O52/3 p51-52

2 時代を彩った女たち 琉球新報社∥編 ニライ社 1996.9 K367/R98 p1-12,283-287,294-300

3 戦後50年おきなわ女性のあゆみ 「戦後50年おきなわ女性のあゆみ」編集委員会∥編集 沖縄県 1996.3 K367/SE64 p214-215

4 戦後をたどる 那覇市歴史博物館∥編集 琉球新報社 2007.2 K23/N27 p19-22

5 オキナワ・海を渡った米兵花嫁たち 沢岻 悦子∥著 高文研 2000.6 K367/TA74 p27

6 momoto Vol.9 今月のテーマ ニービチ 男と女のものがたり 編集工房東洋企画 2012.1 K05/MO28/9 p22-35

7 0からの時代 那覇出版社編集部∥編 那覇出版社 1979.2 K207/N27 p131

8 写真でつづる那覇 戦後50年 那覇市文化局歴史資料室∥編集 那覇市 1996.3 K23/N27 p155-157

9 あんやたん 沖縄タイムス社出版部∥編集製作 琉球銀行 1995.9 K207/O52 p22

10 写真に見る沖縄戦後史 沖縄タイムス社∥編 沖縄タイムス社 1972.8 K207/SH13 p31

11 宜野湾市史 別冊 宜野湾市史編集委員会∥編 宜野湾市教育委員会 1991.10 K22/G46/9 p158

1 むらのくらし 沖縄県南部農業改良普及所∥編 沖縄県南部農業改良普及所 1983.3 K382/O52

2 沖縄・女たちの戦後 沖縄婦人運動史研究会∥著 ひるぎ社 1986.12 K367/O52

3 沖縄・女たちの「昭和」 那覇市首里公民館・沖縄女性史を考える会 1989.10 K367/O52

4 沖縄婦人之友 第1巻第1号?第2号 沖縄婦人之友社 沖縄婦人の友社 1953.[9]?10 K367/O52

5 沖縄婚姻史 奥野 彦六郎∥著 宮良 高弘∥編 国書刊行会 1978.3 K385/O56
キーワード
(Keywords)
花嫁 ウェディング 戦後 衣装 ドレス 婚礼
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000196695解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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