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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000196566
提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
1000000864
事例作成日
(Creation date)
2016/08/24登録日時
(Registration date)
2016年09月03日 00時30分更新日時
(Last update)
2017年08月15日 11時31分
質問
(Question)
1948年の米国軍政府の時代に新教育関係図書購入の為、奄美大島の先生が日本に密航した事件について知りたい。
回答
(Answer)

『奄美の奇跡』(永田 浩三 著、WAVE出版、2015.7)
p99-106 「金十丸・教科書密航事件」の項目で、p100 「名瀬中学校の教諭・深佐源三と奄美小学校の教諭・森田忠光が一九四八年夏、金十丸の船員になって密航、教科書や教育関係の文書を入手し、陳情を行うという事件が起きた。」の記述がある。
p102 「厳密にいえば、深佐と森田は正式な乗員なのだから密航ではない。しかし、教員の身分を捨てて、命がけの渡航をすることには変わりなかった。実は教員の行動は、政庁、警察など、日本の関係者にはすべて暗黙の合意がなされていた。知らないのはアメリカ軍政府だけだった。ふたりは、何かあったときのために辞表を出していた。…出発は一九四八年六月二八日。」の記述がある。
p105 「神戸から列車に乗り東京駅に着いたのは七月二八日。…東京には、奄美連盟という組織がつくられており、龍野定一元大島中学校長らが、陳情に同行した。…文部省では、6・3・3制のパンフレット20枚、制度の要項と教育指導要領を20部もらうことができた。次に教科書会社に向かい教科書を購入した。…ほかに、学校法令集や岩波書店の六法全書も買った。」の記述がある。


『軍政下奄美の密航・密貿易』(佐竹 京子 編著、南方新社、2003.1)
p85-133 「第二章 金十丸と教科書密航事件」の項目で、p89 「教育にことのほか熱心な島の人たちにとって、アメリカ軍の施策はあまりにお粗末だった。教科書はもちろん、ノートや鉛筆さえもない。焼け野原に、とりあえず屋根さえあれば雨露がしのげるという程度の掘っ立て小屋を建てただけの学校であった。このままでは奄美の子供たちの将来が危ぶまれる。…誰かが本土に渡って教育に関するあらゆる資料を島に持ち帰って来なければならない。誰かがである。小学校と中学校の二人の教師が名乗りをあげ、それはみごとに遂行された。これが「金十丸教科書密航事件」である。」の記述がある。
p91-109 本土に渡った当事者の深佐源三と森田忠光を始め、14人の証言がある。
p111-130 金十丸が名瀬を出港した1948年6月28日から名瀬に帰港した10月7日までの記述がある。
p118 「七月三十一日から一週間」の項目で、「教科書会社をまわる。龍野先生の同行で一日に一社ずつ。奄美の実情を訴え、文字印刷だけのパンフレット型小冊子など調達。昭和二十三年度用の教科書・各学年二十部ずつもらう(これは帰島後、奄美の各市町村で印刷する)。新制教科書二十四年度版(カラー印刷)は、国民学校時代の内容の取捨選択で発行が遅れているためもらえなかったが、各会社から出荷してもらう契約をする(復帰後数年間採用する)。」の記述がある。


『金十丸、奄美の英雄伝説』(前橋 松造 著、南方新社、2004.8)
p254-260 「二 教科書密輸計画」の項目で、p255 「一九四八(昭和二十三)年六月二十八日、金十丸は久しぶりのドックに入るために名瀬港から神戸に向かった。このとき、名瀬市内で教鞭をとっていた二人の青年教師が、コックの見習いに変装して乗り込んだ。新しい教育制度の下での教科書を本土で手に入れて、ひそかに持ち帰ってくるためであった。いわゆる「奄美の教科書密輸事件」の主役を、金十丸と二人の青年教師が演じることになったのである。」の記述がある。
p261-275 「三 青年教師二人の活躍」の項目で、金十丸が名瀬を出港した1948年6月28日から10月6日までの記述がある。


『占領下沖縄・奄美国語教科書研究』(吉田 裕久 著、風間書房、2010.2)
p153-160 「3 密航による新教育関係資料、新教科書の輸入」の項目で、p153 「教科書問題は一応けりがついたが、法規いっさいの事は解決できていない。そこで教育家のかたから1・2名本土へ派遣してはという声が盛り上がった。しからば誰を出すかということになった。すると、深佐源蔵(ママ)氏、森田忠光氏が率先この大役を引き受けようという事になった。二人は船長の取り計らいで船員に化けて乗り込んだ。そして、新制度、法規その他の図書を手にして帰られた。おかげで一年本土より遅れはしたが、六三三制度を実施することができたのである。二氏の情熱、意気、その功績は教育者として深く銘記すべきだろう。」の記述がある。
p154-158 当事者の深佐源三による回顧録(『アメリカ占領下の苦難の奄美 うらみの北緯三十度線』の引用がある。


『奄美群島の近現代史』(西村 富明 著、海風社、1993.10)
p175-177 「(イ)教育基本法(六三三制)」の項目で、p176-177 「当時の奄美の教育者たちの苦悩の一端を、深佐源三氏の証言で感じとっていきたいものである。本土へ密航して六・三制の情報を入手した顛末記を昭和五四年二月、地元新聞に「分離下の奄美・一つのエピソード」として掲載している。」の記述がある。
p176-178 『南海日日新聞』(昭和五四年二月一六日一〇回連載)深佐源三著『うらみの北緯三〇度線』(一九九二刊)の引用がある。


『奄美教育』(寿 富一郎 著、海風社、1983.10)
p149 「その後二十二年二十三年二十四年と三年間、教育に関する本土からの情報は思うにまかせず、密航船などを利用して僅かな情報を入手しながら暗中模索を続けていた。そのような状況の中にあって深佐・森田両先生の決死の密航によって持ち帰った資料は、奄美の教育を生き返らせてくれたのであった。指導要領・教育関係法令・教育関係図書は、軍政官の目を避けながら分配され活用された。六・三制に関する法令も二十三年四月一日には間に合わないで、二人が持ち帰った資料によってやっと作成し、二十四年五月になって認可されて前年の四月一日施行となったのである。」の記述がある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
教育  (370 8版)
参考資料
(Reference materials)
1 奄美の奇跡 永田/浩三∥著 WAVE出版 2015.7 K26/N23 p99-106
2 軍政下奄美の密航・密貿易 佐竹 京子∥編著 南方新社 2003.1 K26/SA83 p85-133
3 金十丸、奄美の英雄伝説 前橋/松造∥著 南方新社 2004.8 K26/MA27 p254-275
4 占領下沖縄・奄美国語教科書研究 吉田 裕久∥著 風間書房 2010.2 K375/Y86 p153-160
5 奄美群島の近現代史 西村 富明∥著 海風社 1993.10 K26/N84 p175-178
6 奄美教育 寿 富一郎∥著 海風社 1983.10 K372/KO94 p149
キーワード
(Keywords)
奄美 教師 教員 密航 教科書
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000196566解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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